和歌山毒物カレー事件「Mommy(マミー)」ネタバレ感想
和歌山毒物カレー事件。
地域の祭りの手作りカレーに毒物が混ぜられたという衝撃的な事件は、以降の社会にも一定の影響を及ぼしました。
現在のアラサー以上であれば誰もが概要程度は知っているのではないでしょうか。
この事件は現在も再審請求が申し立てられており、本作は、過去の裁判がいかに不可解な点を残したまま終えられたかを問題提起する内容になっています。
「Mommy」あらすじ
1998年の夏に和歌山県の集落で起きたヒ素混入事件。
犯人とされる林眞須美には、2009年に死刑判決が下された。
しかし動機や物証に乏しい本事件は、判決後も、えん罪であるという主張が絶えない。
妻は、母は、無実である。
眞須美死刑囚の夫と息子による切実な訴えに「新たな証拠」とともに迫る。
和歌山毒物カレー事件の概要
映画「Mommy」感想
本作は「世界仰天ニュース」などのような「実際の事件を元にしたドラマ」ではなくドキュメンタリーなので、実際の関係者のインタビューや過去の記事・裁判記録がそのまま使われています。
そのため、冒頭では、関係者への誹謗中傷は絶対にやめるようにという注意書きが流れました。
実際、映像の中では、当時の裁判が結論ありきで進んだように思わされる描写が多く、当時の関係者への怒りが湧いてきてもおかしくありません。
しかし、ある意味皮肉というか、狙い通りというか、そもそもこの映画自体が「林死刑囚は先入観によって死刑台へ送られた」と問題提起している作品です。
「当時の捜査や鑑識がずさんだったのかな?」と思わされた自分を客観視して「本当に?」とさらにもう一段階考えさせられました。
先入観の持つ危険性
カレー事件は閉ざされたコミュニティで起きたこともあり、犯人が周辺住民の中の誰かであることは当初からほぼ確実視されていました。
その中で、林夫妻が過去に保険金詐欺へ関与していたことが先行して報じられ、マスコミは逮捕の瞬間を待つように、彼らの住居を文字通り「取り囲んで」取材をしていました。
これに怒った林眞須美が、ホースでマスコミのカメラに放水した場面はあまりにも有名です。
一説によればその際に彼女が着用していた服に大きくミキハウスのロゴが入っていたことから、ミキハウスの売上が一時的に落ち込んだとか……
とにかく、林眞須美が怪しいという前提に立った報道は、彼女がいかにこの凶悪犯罪を起こしかねない人間であるかという裏付けを行うものばかりでした。
林家で食事をした男性がヒ素中毒になったとか、睡眠薬を飲まされたとか、普段から騒音問題で近隣トラブルがあったとか……
「林眞須美はとんだ毒婦だ」という印象が煽られ、「(動機は不明だが)状況的に彼女しかいないので犯人である、死刑とする」という結論に世論はもはや疑いを持ちませんでした。
しかし、息子たちの証言する林眞須美はお嬢さん育ちで、教育熱心で、いたって普通の良妻賢母であるというものでした。
その立場から見た林眞須美は、そんな凶悪事件をやるような人間にはたしかに思えないのです。
先入観によってある方面からしか物事を見れなくなった状態では、私たちはいとも簡単に信じたいものだけを信じてしまいます。
そしてそもそもそのきっかけになる先入観すら、カレー事件でマスコミが行ったように、絞られた情報によってかなり簡単に刷り込まれてしまうものなのです。
見直されたマスコミの在り方と一般人による加害性
さて、とはいえカレー事件の行き過ぎた取材は、最終的に彼女が逮捕されたといえど問題視されました。
これをきっかけにマスコミによるプライバシー侵害はある程度見直されたようです。
しかし、もし現在、同じような事件が起きれば、容疑者とされる人間は当時の林家よりも苛烈にバッシングを受けるのではないでしょうか。
マスコミによる取材は規制することができても、日々の事件をワイドショー感覚で消費する第三者の加害性はより強くなっているように思います。
一般人が手軽に発信・拡散できるようになってしまったことで、一次加害が一般人になってきているんですよね。
時の流れとともにマスコミの信頼性が失墜し「マスゴミ」と揶揄されるようになった今では、逆に、マスコミが報じない=真実 という文脈も表れています。
腐ってもマスコミという大企業の行うものと、個人の無責任な情報発信では、出す側の覚悟に大きな差があります。
個人の情報にはファクトチェックが行われていないものも多く、時には同姓同名など、本当に無関係な人が顔写真や勤務先を「晒され」ている場面に出くわします。
(とはいっても最近ではマスコミがそれをやっちゃっていることすらあるので目も当てられませんが……)
バッシングに対して開示請求による損害賠償請求を行う被害者もいますが、一度拡散された情報を完全に消し去ったり上書きすることはほぼ不可能です。
情報の発信主体が変わりつつある現在、そろそろ個人に対しても確実な規制があるべきなのでしょうね。
弁護団サイドから見たカレー事件
本作を観た後で印象の変わる人物がもう一人います。
実際の裁判では「夫もヒ素を盛られ続けていた」として被害者になっている、眞須美の夫・林健治氏です。
彼は妻から保険金目当てにヒ素を飲まされ続けていたとされているのですが、作中では「自分で飲んでいた」と否定しています。
曰く、当時の生命保険会社は高次機能障害の判定が甘く大金を払いだしていたため、死なない程度の障害をあえて負っており、それがヒ素の摂取であったり、自損事故であったりしたと。
また、同じく被害者とされる知人男性にもそのメソッドを共有しており、共謀して保険金をだまし取ろうとしていたと、あまりにも赤裸々に語っています。
ヒ素の長期服毒はたしかに証拠が出づらく、死に至るまでの時間も長いことから、江戸時代などでは暗殺の手段としてもポピュラーだったそうですが……
健治氏の顔に、ヒ素中毒の特徴でもある黒皮症と見える症状があるのがまた妙な説得力がありました。
(参考:「大奥」10巻 よしながふみ)
なおヒ素の致死量やうっかり飲みすぎたときの症状は各自文献にあたってください。
何はともあれ、家族が語る夫婦関係や健治氏自身の人柄を見ると、裁判記録の印象がまったく異なってくるのはたしかです。
違和感を覚える取材手法
一方で、本作の映像には違和感を覚える場面も多々ありました。
たとえば、「取材NGの関係者にカメラを向けて断られる映像」が使われているとか。
関係者へのバッシングはするなと注意書きする一方で、「終わったこと」「カレー事件の話題はタブー」「関係者本人はすでに亡くなったので話せることはない」といったインターホン越しの会話が、発言者の自宅が特定できる画角で使われているとか。
いかにも「やましいことがあるから口を閉ざしているのでは?」と見える画作りになっていて、それこそ「これは先入観を先導されていないか?」と思わされるんですよね。
本作の主メッセージが「先入観が植えつけられることの恐ろしさ」なら成功だと思うのですが、多分ポスター通り「カレー事件はえん罪である」を伝えたいのだと思っていて、それであればこの手法は勿体ないと思いました。
極めつけは、ラストシーンで明かされる監督自身の犯罪行為。
示談が成立したものの、事件関係者の車にGPSを取り付けようとしていたところを通報されているんですね。
おそらくこの件について、映画公式サイトにとある映画評論家からのコメントが寄せられています。
林眞須美の保険金詐欺の「被害者」とされた夫が語る真実が衝撃。警察、検察、マスコミ、裁判官によるでっち上げ。こんなひどい話があるだろうか? ある。今の日本は他も全部、こんな状況だ。取材していた監督が怒りのあまり一線を越えてしまうほどに。
(引用:映画「マミー」公式サイト こちら)
怒りのあまりであっても「一線」を越えた瞬間に同じ穴のむじななのでは……と思ってしまいました。
制作者側を手放しに信用できない状態になってしまうことは、本当に本作にとって良かったのか、疑問が残ります。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません