人と人との繋がりを描く「きのう何食べた? 劇場版」感想
「きのう何食べた?」は、ゲイカップルの健康的で堅実な食卓を中心に、
さまざまな家庭の事情をリアルに描く、よしながふみのマンガ作品です。
ドラマ化もされ、今回、同キャストで映画化されました。
劇場版「きのう何食べた?」あらすじ
シロさんは、ケンジの誕生日に京都旅行をプレゼントする。
二人並んでの記念撮影や豪華な旅館などに大満足のケンジだが、
普段のシロさんとは異なるエスコートぶりに違和感を覚え始める。
問いただすと、今回の旅行は、
二度とケンジを両親に会わせられない罪滅ぼしだったという。
ゲイとして生きることは親不孝なのか?
様々な親子関係を中心に、人が人と繋がりながら生きていくことを描く。
親子という繋がり
本作では、時間の大小はあれど多くの親子や家族の姿が描かれます。
シロさん親子、ケンジの家族、富永さん家族、大先生と息子夫婦。
冒頭の京都旅行で少しぎくしゃくしてしまったシロさんとケンジですが、
お互いが色々な他人と関わるにつれ、収まるべき場所を見つけていきます。
中でもやはりシロさん親子(特に母とシロさん)の変化が丁寧に描かれており、
他の家族は、そのためのエッセンスになっていました。
親に幸せだと知らせたかったシロさん
シロさんは両親をケンジに会わせたことについて、
幸せに生きている姿を見せたかったと両親に伝えています。
両親もまた、
シロさんがケンジのような良い人と一緒にいて安心したと語ります。
その気持ち自体に噓はないものの、
ケンジが帰った後、母親はショックで寝込んでしまったそうです。
男性パートナー同士ということは、当然ですが子どもはできません。
堅実に働き、家を建て、家族を養ってきた父親、
こまごまと丁寧に暮らし、生活を守ってきた母親。
いわゆるステレオタイプに生きてきたシロさんの両親にとって、
当然成り立つはずだった「息子の幸せ(結婚して良い家庭を築く)」=「自分たちの幸せ(孫が生まれるなど)」という式が一般的な内容では成立しなくなることは、なかなか受け入れられなかったのではないでしょうか。
受け入れられたシロさんの生き方
しかし最後には、母親はシロさんに対し、
「これからはあなたの家族を一番大切にしてね」と語ります。
このきっかけとして、シロさんの知り合い(富永さん)の孫に、
シロさんの名前の漢字が使われたというエピソードがありました。
シロさんは「筧家」こそ途絶えさせてしまうものの、
しっかりと次の世代に存在を引き継がれていきました。
社会の中で、他人と繋がりながら生きていく。
たとえ親がいなくなっても、大切に思ってくれる人に囲まれている。
本来そういうことが、
「幸せ」や「家族を作る」ことの意味なのではないでしょうか。
シロさんの母がケンジのことを「家族」として受け入れられたことは、
シロさんの生き方そのものをようやく肯定できたということでもあり、
とてもグッとくるシーンでした。
「何食べ」映画のあのシーンは何巻収録?
「きのう何食べた?」実写版は、原作のエピソードを、
時系列を飛び越えて繋ぎ合わせた造りになっています。
そのため、
「劇場版は〇巻~〇巻収録のエピソード」と簡単に言えないんですね。
覚えている限りで、
劇場版に登場したエピソードと収録巻を書き留めておきます。
シロさんとケンジの京都旅行(8巻59話)
冒頭の京都旅行は8巻収録です。
エスコートするシロさんが普通にかっこよくてキュンキュンするんですよね。
原作だと、
シロさんの懺悔やその後のケンジの怒りも割とあっさり描かれます。
特にケンジに関しては、それほど尾を引かないエピソードでした。
富永さんの孫がシロさんから一文字もらった話(8巻61話)
富永さんの娘(ミチル)が名づけについて話すシーンがあります。
母親にこのことを話すのは別の巻ですね。
タブチ君とミッコ(8巻62話)
個人的には、劇場版で初登場となったタブチ君には、若干物足りなさを感じました。
タブチ君は「ズケズケと物を言う若者」として描かれますが、
劇場版の切り取り方だとただの失礼な人になってしまっている気がしました。
原作のタブチ君ってもっと陽キャっぽくて、
お客さんに「背筋曲がってる!」とか言っちゃってヒヤヒヤさせるのですが、
意外にそれがお客さんにもウケているという「憎めない奴」なんですよね。
私自身がSixTONESのファンなので、
「松村北斗さん」のイメージが先行している可能性は否めませんが、
ちょっと何か感情を隠しているような感じじゃなかったですか?
そもそもタブチ君のこのエピソードをやるなら、
絶対にミッコとの最後の食卓までが1セットだったのではないかなと思いました。
ミッコのためを思い「仕方ねー、別れるか!」と言いつつ、
彼女のちまちましたおかずや飾らない人柄に、
居心地の良さを感じていたタブチ君が見たかったです。
ケンジの家族(8巻64話)
ケンジの「久々のガールズトーク」は8巻の最後に収録されています。
裁判員裁判の話(5巻40話・6巻44話)
若先生が引き受けていた国選弁護(被告はホームレスのおじいさん)が、
過失致死の事件にも関わってしまっており、裁判員裁判に発展する話。
劇場版の中では、少し浮いたエピソードになっていましたね。
シロさんと若先生の努力むなしく、
ホームレスのおじいさんは9年という長い実刑を食らってしまいます。
控訴を断念する際の、
「シャバに早く出たっていいことなんかないもの……」という台詞が、
「先生たちみたいな人にはわからないよ」という台詞に改変されていました。
出典:「きのう何食べた?」6巻・第44話
弁護士という華々しい職業に就いて、幸せな生活をしている人には、
人生に夢も希望もない人間の気持ちは分からない、という趣旨ですね。
おそらく、
13巻の立ちんぼの女性とのやり取りを代わりに入れたのかなと思います。
出典:「きのう何食べた?」13巻・第97話
立ちんぼという職業がNGだったのかもしれません。
シロさんが一般的に幸せに見えている描写としてこのエピソードを使うなら、
この後の「俺には妻も子どももいないよ」という返しもセットになっていた方が、
うまいこと映画全体の流れにハマったんじゃないかなと思いました。
小日向さん家の冷蔵庫が壊れた!(9巻66話)
ローストビーフやアクアパッツァを作る話はこちらです。
ただ、原作のこの回では単にごはんを作り食べるだけで、
ワタル君による核心を突くようなエピソードはありません。
なお、原作のワタル君は外面が良いです。
一般人の富永さんに対しては、暴言を吐くどころか、
花見に手土産を持ってくるなどかなり真人間な対応をします(笑)
シロさんが正月はもう帰らないと伝える話(9巻69話)
「土井善晴さんが言ってたぞ」は劇場でも笑いが起きていました。
映画冒頭の正月問題について、
シロさんが両親に話をつけにいくエピソードが収録されています。
映画ではカットされてしまっていましたが、
正月に実家へ帰るようになったきっかけはケンジだ、
と母親に伝えるシーンが良いんですよね。
出典:「きのう何食べた?」9巻・第69話
本来この台詞も、ラストに至る母親の心に一石を投じたはずなので、
あっても良かったんじゃないかなと思いました。
ケンジとシロさんのホテルディナー(11巻87話)
ケンジのバチバチのスーツが光るこの回は11巻収録。
「今日の俺達って周りの人達からどう見えてると思う!?」
「どっかの暴力団の幹部とその組の顧問弁護士」
という、乙女ケンジとシロさんの温度差が面白いのですが、
コンプラの関係なのか、台詞自体はなくなっていました(笑)
ワタル君の失踪(12巻94話)
ワタル君の失踪と、小日向さんとワタル君のなれそめ話は12巻収録です。
実写版の小日向さん、いやにハンサムなのですが、
盲目的にジルベールLOVEな感じがとてもハマり役ですよね。
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