説明しすぎが残念「えんとつ町のプペル」ネタバレ感想
もったいないなあ、という気持ちで映画館を後にしました。
キンコン西野さんは、
自分より頭のいい人が周りにいないまま大人になってしまったのではと邪推します。
私は、西野さんの気の強さ・自分に自信があるところは割と好きなので、
多分また映画を作ったと聞けば劇場に行くと思います。
でもそれはあくまで「応援」であり、
彼の映画を「観たい」になるのはまだ先になりそうだと感じました。
”大人も泣ける大ヒット絵本「えんとつ町のプぺル」が、ついに映画化!
原作者のキングコング西野亮廣が自ら製作総指揮・脚本を手がけ、
多分、脚本は本人じゃないほうがよかったかも。
「えんとつ町のプペル」あらすじ
厚い煙に覆われた“えんとつ町”と呼ばれる町。
町の外は危険なので、出ることは許されていない。
規則があるにも関わらず、煙の向こうがどうなっているか気になる変わり者の少年・ルビッチは、友達もなく、祭りの夜も結局いつもと同じようにえんとつ掃除の仕事をしていた。
ちょうどその頃、えんとつ町のごみ置き場に突如現れたゴミのお化け。
臭く不気味なお化けの出没はすぐに町中で大騒ぎとなり、警察から追われる身となっていたが、騒ぎを知らないルビッチは、うっかりお化けを助けてしまう。
のけ者同士の二人は友だちとなり、ルビッチはお化けに「プペル」と名前をつけた。
プペルとルビッチはやがて、ルビッチの父が遺した「町の外はどうなっているのか?」という大きなロマンに立ち向かっていく。
どうして町には煙が満ちているのか?
どうして町の外を知ることはいけないことなのか?
チャレンジしたい全ての人に贈る物語。
世界観の説明が放棄されている
本作、あらすじというものが公式には存在しません。
公式サイトの「STORY」には本編のほぼすべてが書かれてしまっており、かといって前知識なしで行くと、世界観についてぼんやりしたまま中盤までが過ぎていきます。
説明しないならしないで構わないのですが、その割に浮いている要素や演出がめちゃくちゃ多くて、胃もたれしてしまいました。
その時間あるなら、町の説明に60秒でいいから割いてよ……
解釈の余地を認めないならしっかり誘導すべきだった
わからない映画がつまらないという気はありません。
ただ本作は、後述するように「解釈の余地」を許さない作り。
想像が許されない以上、物語をなぞるだけでも十分楽しめる配慮がほしかったなあという印象を受けました。
実はこの映画、原作絵本の一部を切り取ったものだそうで、
しかも原作は無料公開されています。
これを読んでから来い! 無料なんだから!
という主張なら、この構成もまだ納得できるかも。
原作とスクリーン展開の関係はどうあるべきなのか
国民的アニメ「名探偵コナン」の劇場版は、
たぶん国民のほとんどが江戸川コナン=工藤新一を知っていても、
「俺は工藤新一……」というおなじみのイントロが入ります。
ただ、直近で大ヒットしたアニメ劇場版「鬼滅の刃 無限列車編」は、
いきなりアニメ版の続きのシーンから始まります。
アニメも原作も見ずに行ったら、
「え? なんで急に列車? は? イノシシがしゃべってる……。
え? 鬼? なに?? えっ……死んだ……。」
って感じかもしれないし……。
ただ、アニメやドラマといった映像メディアでの展開がすでにあり、続編として劇場版になっているものに関しては、おそらく観客の多くが前作から流れてくるため、予習前提の作りでも納得できます。
紙の原作から映画になるものは、
はじめましての人も楽しめるように作られるべきではないのかなと思ってしまいます。
本作「えんとつ町のプペル」に関しては、導入作業を惜しまれたために、最後までなんとなく集中できませんでした。
原作者が副音声で話しかけてくる
一方、世界観の説明を放棄してまで90分で伝えたかった内容が
ド直球できつい。
「出る杭は、打たれる!! けど正義は勝つから!! 打つ奴は弱虫なんじゃ!!」
「サイレントマジョリティーよ、正義に立ち上がれ!!」
「あっそういえばさ~ 貨幣っていらんくない? 俺ちょっと勉強して、いいもん見つけてんけど・・・」
真ん中の主張から、ついでに言いたいんだなってことまで1から100まで描かれすぎていて、あれ?副音声で原作者しゃべってる?
聞こえ……ますか……
聞こえますか~~~~??
いま、アンタの心に直接! 語りかけてますゥ!状態
あまりにも視聴者を見くびりすぎ
物語を通して伝えたい主張以外にも、
登場人物の内面や設定に至るまですべて細かく説明され、
原作者の設定以外の解釈を許さないという雰囲気がバシバシです。
その割に世界観の説明がおろそかなので、
少なくとも映画内では矛盾が生じていて納得できないことも多く、粗が目立ちます。
もし原作を読めば解決できるのだとしても、
この映画を観て「ん~わかんないから原作で補完しよう!」とはならない。
伝えたいという気持ちは痛いほどわかるのですが、
たぶんそこまで説明しなくてもほとんどの人は分かるはずで、
悪く言えば視聴者をナメているんだなあと。
これが、冒頭に書いた
「自分より頭のいい人が周りにいないまま大人になってしまったタイプ」
と思った理由です。
分からないことは悪か?
序盤で少し触れましたが、
本作に限らず、最近は漫画やゲームも説明が多いです。
「誰にでもわかる」「みんなが同じ解釈にたどり着く」ものが多い気がします。
(追記:先日、エヴァンゲリオンシリーズの庵野監督が「謎に包まれたものを喜ぶ人が少なくなってきてる」と発言したことが、良い意味で反響を呼んでいました。)
海外に比べて注意書きがびっしりでデザイン性を損ねてしまっている日本のパッケージが揶揄されることがありますが、そういう流れが創作にも来ているというか。
最悪なのは「私には分からなかった」「主人公に感情移入できなかった」みたいな★1評価を付ける奴がいること。
そしてそのレビューが制作サイドに影響を与えるかもしれないことですね。
本作にしても、すべてを丁寧に伝えきらず、
もう少し解釈の余地があったほうが、物語として上品だったと思います。
作者が自分でノイズを削るのは難しい
本作の説明過多は、低評価回避というよりも、
どうしても伝えたいことがあるから説明しすぎちゃった感が強いので、
単純に監督の出すぎが原因かなという気もします。
自分での作品だと、
どこも大事で捨てられなくて、結局着ぶくれたものが出来上がりがちなのは、
創作を少しでもやったことがある人なら覚えがあると思います。
気に入っている描写に赤線を引かれると悲しいですが、
結局、蛇足は物語にとってノイズでしかないんですよね。
だからこそ、脚本は他人に任せて、
主張を伝えつつ作者の色が出すぎないところを探ってもらえたら、
もっとよかったんだろうなと思わずにはいられません。
というわけで次のページでは、
「こうしたらもっとプペ泣きできたんじゃないか?」というポイントを、
いち視聴者なりに考えてみます。
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