お母さんに会いたくなる「西部戦線異状なし」感想

2020年12月1日

某野球掲示板でネタにされているイメージが強かったのですが、大名作だしいつか見なばなるまいと思っていました。

主人公たちの話す言語が英語なので途中まで混乱しますが、「第一次世界大戦下のドイツ軍を描いたアメリカ映画」です。

 

 

第一次世界大戦

1914年7月28日から1918年11月11日にかけて、連合国対中央同盟国の戦闘により繰り広げられた世界大戦である。

7000万以上の軍人(うちヨーロッパ人は6000万)が動員され、史上最大の戦争の一つとなった。

第二次産業革命による技術革新と塹壕戦による戦線の膠着で死亡率が大幅に上昇し、ジェノサイドの犠牲者を含めた戦闘員900万人以上と非戦闘員700万人以上が死亡した。

史上死亡者数の最も多い戦争の一つであり、この戦争は多くの参戦国において革命や帝国の解体といった政治変革を引き起こした。

終戦後(戦間期)も参戦国の間に対立関係が残り、その結果わずか21年後の1939年には第二次世界大戦が勃発した。

 

本作の公開は1930年、第一次・第二次世界大戦の間の作品です。

 

戦争の過酷さ、悲しみを描く反戦映画で、

そう遠くなく再度の世界大戦が起こることを知って観ると、なおのこと悲しみが募ります。

 

もちろん白黒ですが、画面に見ごたえがあります。

 

現在の映画とは使用されている手法も異なるところが多く、

長回しや、場面転換の際の暗転が多用されている点は、舞台演劇の見え方にも近いように思いました。

 

あらすじ

18歳のドイツ人学生・ポールは、愛国心を語る教員に扇動され、

志願兵として第一次世界大戦に参加することになる。

 

祖国のため勇敢に戦うことを夢見て志願したものの、厳しい上官や訓練、学友の悲惨な死、耐えがたい飢えなど、戦場での経験はポールの人生すべてを変えてしまった。

 

多くの学友を失いながらも、数々の死線を生き延びて古参兵になった頃、

ポールは怪我を負い、戦線からの一時離脱と自宅療養を許可される。

 

久しぶりに故郷に戻ったものの、

ポールたちを戦場へ送り込んだ教員は、今も同じように学生を洗脳し続けていたし、

酒場では老人たちが葉巻をふかしながら軍の現状を揶揄し、机上の空論を語っていた。

 

戦場にいるうちにすっかり世間と感覚が乖離してしまったことに絶望したポールは、

すぐに休暇を切り上げ、居場所を求めるように戦線に復帰するのだった。

 

親の心子知らず、子の心親知らず

多くの方がご存知のように、ポールは戦線復帰後に射殺されてしまい、二度と故郷に戻ることは叶いませんでした。

実家で交わす母との最後の会話が泣けます。

 

休暇を切り上げて明日には戦線復帰するという晩、母はポールのそばを離れようとしません

 

母も病気を患っているのだから早く眠らないと身体に障ると、部屋に帰るよう促されても、

 

できるだけ危険じゃないところに配置してもらってね

新しい下着を2枚入れたよ、羊毛だから暖かいよ

 

などと、言い忘れていることを探すように、やがて涙声になっても話し続ける母が、本当にけなげで痛ましく……。

 

明日にも息子が死んでしまうかもしれない。

 

戦場に「死」があることは知っているけれど、戦争のリアルは、兵士でない母には分かりません。

 

ただただ愛する息子が心配で、

しかし具体的にしてあげられることの精一杯が「羊毛の下着」なのでした。

 

そんな母も含めて、平和ボケした町の全てが鬱陶しくなってしまっているポールは、

後方支援部に行けるか聞いてみるよだとか、適当にやり過ごします。

 

そしてポールは、戦場に戻るなり、

母から持たされたと思しき食糧を、飢えた仲間たちに振舞ってしまうのでした。

当然、食糧難の戦場ですからヒーロー扱いを受けて、得意げです。

 

あの母が、どんな思いでそれらを持たせたかと思うと泣けますが、

しかしこの風景って、ちょっと心当たりがあるなあなんて思ったりもします。

 

実家に帰ればやれ服はあるか靴底は減っていないかと心配され、ユニクロに連行されてヒートテックや下着をしこたま持たされたり。

 

ときどき掛かってくる電話で仕事はどうかと言われ、分かりもしないくせに……と心の中で悪態をついてしまったり。

 

山ほどの米や乾麺や地元のお菓子といっしょに、体調を気遣う短い手紙が添えられた段ボールが届いたり。

 

まったく状況は違うわけですが、母親というのは古今東西おなじなのだなと感じました。

 

明日こそお母さんに電話をかけよう。

たまに帰ったなら眠るまで話に付き合おうと、思うのでした。