宮崎駿監督作品「君たちはどう生きるか」観てきた感想

説明が省略されていて、観る側にゆだねられている部分が大きいからこそ、色々な見方をする人がいると思います。

 

生き死にの映画かもしれない、反戦映画かもしれない、青春映画かもしれない、宮崎駿の後継者なんていないということを主張する映画かもしれない。

そして、どのように観れば正解ということでもないのだろうと思います。

 

販促なし、事前情報なく観ることを推奨されている以上、すべての「感想」はネタバレだと思うので、普段タイトルに入れている「ネタバレ感想」とはしませんでした。

また本編を観た人が見ることを前提として、あらすじは控えます。

 

 

宮崎駿監督作品「君たちはどう生きるか」

 

死を受け入れる物語

私個人としては、本作は「死」を受け入れる物語だと考えました。

「死」は「生」と表裏一体なので、「死」について考えることはつまり「君たちはどう生きるか」でもあるのだと思います。

 

「君たちはどう生きるか」は、眞人が母親の死を受け入れ、前を向くまでの物語だったように思います。

 

生と死とその循環

「死」とは全てにおとずれるものなので、人は人生のなかで、自分にとって重大なものからそうでないものまで実にたくさんの「死」に触れます。

 

眞人であれば、現時点までに最も重大な死の経験は、言うまでもなく彼の母親のものです。

1年経っても、眞人は母親が死んだ日のことを夢に見てうなされています。

 

そして、母親に会わせてやるというアオサギの誘惑も振り切ることができませんでした。

「お母さんは死んだ」と口にしながらも、内心はまだ受け入れられていないことが伺えます。

 

この受け入れがたい死は眞人の日常に影を落としていて、異世界へ行く前の眞人は、どこか他人との間に壁を作ったような雰囲気でした。

 

しかし夏子を追ってやってきた異世界で、眞人は大魚を獲って捌き、死にゆくペリカンの話を聞き、今度は自分の命を狙われ、そして、老いた国王と彼が作った世界の終わりにも立ち会いました。

 

死(内臓)を食べて新しい命に生まれ変わっていく「わらわら」たちとの出会いも、「死」がそこで終わりではなく循環してまた「生」に繋がっていくことへの納得に繋がったかもしれません。

 

(わらわら可愛い、絶対にストラップ欲しい)

 

ヒミとの出会いと別れ

そして何より、異世界ではヒミとの出会いがありました。

 

ヒミは、眞人の母親であるひさ子の少女の頃の姿です。

ひさ子は少女期にこの世界に迷い込んでいて、現実世界での1年ほど神隠しにあっていたのでした。

 

この世界は時間の流れがあべこべになっているため、眞人と交流したヒミはまさに眞人と同年代の頃のひさ子なのです。

 

眞人が元の世界へ帰るとき、ヒミもまた帰ろうとしますが、ひさ子が迎える悲惨な死を知っている眞人は思わずヒミを止めます。

しかしヒミは気にしませんでした。

 

眞人の母親になりたいこと、火は好きだから火に包まれて死ぬなんて素敵だということ。

眞人には思いもよらなかったことを言って笑っていて、私はこのシーンが一番好きです。

 

自分自身の悲しみに加え、きっと苦しかっただろうという想像は、眞人を苦しめていたと思います。

そんな母親の死について、本人の口から救いのある言葉を聞けたのでした。

 

そして、母親が自分に出会うことをこんなにも楽しみにしてくれていたという事実もまた、眞人に希望を与えたと思います。

 

ヒミが現実世界に帰り、ひさ子に戻ってしまえば、この世界で将来の息子に会ったことは忘れてしまいます。

しかしひさ子と同一人物であるヒミのこれらの言葉は、眞人を救ったのではないでしょうか。

 

このシーンで真に眞人は母親の死を乗り越えられたと感じました。

 

生きていくことへの対峙

眞人にとって、ひさ子の死を受け入れることが過去との対峙だとするなら、夏子を受け入れることはこれから先の未来との対峙です。

 

眞人を疎開先で出迎えた叔母の夏子は、すでに眞人の父親との子を宿していました。

私の曾祖父母もそうなのですが、戦後くらいまでだと、亡くなった妻の妹と再婚するパターンは結構あったみたいですね。

 

とはいえまだ母親の死を受け入れられていないところにそんな女性が現れても、いきなりうまくやれという方が無理な話です。

 

しかし異世界での冒険、そして母親との本当の別れを経て、眞人は夏子を前向きに受け入れたのでした。

 

あなたなんか大嫌いの本意とは

夏子は、ほぼ初対面の眞人にいきなり腹違いの弟の存在を見せつけるというなかなかファンキーなアイスブレイクをかますのですが、実際のところ、眞人にもしっかりと愛情を向けていたと思います。

 

というのも、夏子と眞人は、立場は違えど大切な存在であるひさ子を喪っています。

そして、夏子はひさ子に生き写しであり、眞人もまた、母であるひさ子によく似ているのです。

 

眞人にとってひさ子が最愛の母だったのは言うまでもありませんが、夏子は眞人がけがをしたとき「お姉さまに顔向けができない」と涙を流していました。

異世界での夏子とヒミの関係を見ても、仲の良い姉妹だったのではと考えられます。

 

そんなひさ子の忘れ形見である眞人に対し、夏子は、距離感を測りかねこそすれど、深い愛情を持っていたはずです。

 

では、自分を追って異世界までやってきた眞人に叩きつけた「あなたなんか大嫌い」は何だったのかというと、当然に眞人を危険から遠ざけようとしたものだろうと思います。

 

夏子のいた部屋は眞人に対して敵意むき出しで、異物を排除しようとしていました。

眞人がこれ以上長く留まらないよう、強い言葉で帰らせようとしたのではないでしょうか。

 

しかし眞人は、一瞬ひるんだものの、気を持ち直しました。

 

眞人は最初のうちこそ「お父さんが好きな人」だからという理由で彼女を探していました。

しかしヒミと交流し母親の死を受け入れていく中で、どこか見ないようにしていた夏子の愛情深さを直視するようになったのではないでしょうか。

 

夏子が嫌われる覚悟で「大嫌い」と言ってまで守ろうとしたシーンは、その最たる例でもありました。

 

眞人もそんな夏子に対して、真剣に向き合う覚悟ができたのだと思います。

ついに夏子を「お母さん」「夏子母さん」と呼び、絶対に連れて帰ろうという意思を見せます。

 

このシーンも、眞人の成長が見られてとても好きでした。

 

眞人はなぜ王にならなかったのか

眞人は、異世界を自分の好きに作り直すチャンスを与えられました。

現在の王であるひさ子の大叔父はかなり年老いて、世界を維持することができなくなっており、見どころのある若者である眞人に王位を譲ろうと考えていたのです。

 

王位を継承すれば、「自分の国」をいちから作ることができます。

しかし眞人は、それを断るのでした。

 

なぜ大叔父の世界には人食いインコがいたのか

異世界の寿命は、大叔父が積んでいる積み木と直結しています。

大叔父は世界が崩壊しないよう、日々バランスを取りながら積み木を維持しているのでした。

 

しかしそんなとんでもない役割でありながら、積み木にはかなりチャレンジングな配置の箇所があり、それによってかなり危なげなバランスを保っています。

 

人は生きていれば自暴自棄になったりするタイミングもあるものです。

ましてや「世界を作る」なんて途方もない積み木遊びを任されて、気が狂わずにいるほうが変です。

 

それでもなお、後先考えずに積んでしまった後でもういいやと崩しきらずに持ち直した精神力には恐れ入ります。

 

さて、そんな大叔父の作った現状の世界では、人食いインコが幅を利かせていました。

実際に「鍛冶屋」と呼ばれる人間を食って彼の家を占領しており、眞人にも一貫して殺意(というか食欲)を向けています。

 

ではなぜ大叔父が思い通りに作ったはずの世界にそんな怖いものがいるかと考えてみます。

思い通りに作れる世界にもし創造主の心が反映されるとしたら、その世界にいる怖い存在は、眞人の言う「悪意」だったり「恐れ」だったり、人の心の弱い部分が露呈したのではないでしょうか。

 

大叔父が年を重ねるごとに、老いた身体とともに心も脆くなり、現在のような人食いインコの群れになったのかもしれません。

 

眞人の悪意とはなにか

大叔父もヒミも、眞人が新しい王になることを望んでいましたが、当の眞人は拒絶しました。

眞人は、自分は悪意のある人間だということを自覚していて、そんな気持ちでは世界を善く作ることはできないと考えたのでした。

 

眞人は勇気ある少年です。

複雑な気持ちを抱える継母を助けるために未知の世界まで入ってきて、勇敢にここまで進んできたのです。

 

そんな彼と「悪意」とは、一見無縁のようにも思えます。

 

しかし眞人には誰にも言っていない、自分だけが知っている悪意に心当たりがありました。

学校に行きたくないがために、クラスメイトにひどくいじめられたかのような大怪我をしてみせ、大人たちを騙したのです。

 

クラスメイトにやられたのは取っ組み合い程度の怪我だったのに、当然、必要以上に大事になりました。

 

眞人の父親の性格を考えれば、取っ組み合いには不釣り合いなほどの厳しい罰がクラスメイトに与えられたでしょう。

そんなことは想像に難くなかったのに、眞人は、自分のわがままのために他人の犠牲をいとわなかったのです。

 

ともすれば、人食いインコより悪いものを生み出しかねない邪悪な悪意です。

 

しかし一方でその程度の悪意、瞬間風速的になら誰しもが持つものではないでしょうか。

大叔父も、その程度のことで世界を作る権利を放棄し、より悪意に満ちた世界に戻るのかと尋ねています。

 

眞人はこれに対し「友達を作ります」と答えています。

妙なやり取りにも感じますが、夏子を通して未来を受け入れた彼は、そんな世界でも諦めずに生きてみたかったのだと思います。

 

人間である以上、他人の悪意にさらされながら、また自分の中の悪意を飼いならしながら生きていくしかありません。

それでも、「友達を作る」であったり「恋をする」であったり、そういった小さな未来への希望が、悪意に満ちた世界を照らしてくれると思いました。

 

「君たちはどう生きるか」に原作はあるのか?

販促活動を一切行わなかった本作、公開前に分かっていたのはタイトルのみでした。

 

言わずと知れた同名書籍「君たちはどう生きるか」が存在するため、これのアニメ化ではないかと言われたりもしていましたが、本作には原作にあたるものは存在しなさそうです。

 

「君たちはどう生きるか」

同名書籍「君たちはどう生きるか」ですが、宮崎駿監督は本書を愛読していることを公表しているそうです。

それもあっての原作説だったようですが、「なんでこれ(書籍)がこう(映画)になったのか分からない」と言われるほど内容的には別物です。

 

 

 

ただし作中には、母ひさ子が眞人に遺した本として本書が登場しており、まったくの無関係というものではありません。

眞人が読みながら涙をこぼすシーンもあり、読んでみたくなった方は多いのではないでしょうか。

 

(実際、映画公開後に売り上げが爆伸びしているそうです)

 

「失われたものたちの本」

一方で、実質的な原作ではないかと噂されているのが「失われたものたちの本」

 

イギリスの児童文学で、戦時下・最愛の母の死・継母と異母兄弟の存在・異世界への冒険・命を狙ってくる敵など、舞台設定上の共通点はかなり多いです。

 

ただ、ちょっと主人公のスタンスに違いがある気がします。

いずれにせよ映画「君たちはどう生きるか」が本書をなぞっていると感じるほどの原作感はありません。

 

とはいえ「失われたものたちの本」は冒険小説としてかなり手に汗握る展開で大人にもおすすめです。

 

まっさらな状態で観た方がいい

私は何を思ったか「失われたものたちの本」を読んでから映画を観てしまいました。

 

ただ前述のように妙に舞台設定が同じ分、展開に差が出てきたときに一瞬違和感を覚えてしまいました。

全く別物なので、変な先入観を持たずに観たほうが絶対に楽しめると思います。

 

なにより、初めて観たときに何の物語として捉えたかは人によって違いもあると思うので、もし人に本作を勧める機会があれば、ぜひまっさらな状態で観ることをおすすめしてほしいです。

できればもう一度劇場で観たい。

 

宮崎駿監督はたしかに日本の宝だと実感しました。

ジブリパークも開園したことですし、まだまだ長生きしてほしいですね。