フツーという呪いと解放「ボクたちはみんな大人になれなかった」ネタバレ感想

2021年11月15日

私は基本的に生きていてしんどいタイプなので、

観て大丈夫かな? と不安になりつつ視聴しました。

 

観て良かったし、しんどくなかったです。

 

いや、確実にしんどいんだけど、

ちゃんと作中で消化してくれるので後味がすっきりしました。

 

森山未來めちゃくちゃいい俳優……。

 

 

「ボクたちはみんな大人になれなかった」は、

2021年11月5日から、Netflixと劇場で同時公開されています。

 

「ボクたちはみんな大人になれなかった」あらすじ

46歳の佐藤は、テレビ業界の末端で働くCGデザイナー。

 

ありふれた価値観に対し斜めに構えてしまう姿勢には、

若いころにのめり込んだ恋人・かおりの影響があった。

 

かおりと出会い、人生が変わった20代前半、

彼女との突然の別れを引きずって過ごした傷心の20代後半。

 

社会との折り合いをつけ「大人」になろうとした30代から40代。

 

色々な人と出会ううち、変わったり変わろうとしたり、

時に変えられたりして、いまの自分は形作られている。

 

不景気の日本社会の中でもがき続ける佐藤の、20代から40代をたどる青春劇。

 

かおりという呪い

本作は、2020年に46歳になった佐藤が、

90年代の若かりし日々を回想する形で構成されています。

 

躊躇なくタクシーに乗れて、広くて家賃の高そうな家に住んでいて、

飄々とした「いい感じの大人」になっているように見える佐藤。

 

彼が自分を「つまらない大人」と評価するのはなぜなのか。

彼がなりたかった「大人」とはどんなものだったのでしょうか。

 

自分よりも好きな存在になってしまった彼女

佐藤には、20代前半のときにのめり込んだ恋人・かおりがいました。

 

奔放な性格の彼女にとって「かなりキテる」は最大級の誉め言葉で、

逆に、世間にありふれた「普通」の価値観を嫌厭していました。

 

石橋を叩いて渡る保守的な性格の佐藤にとって、

正反対のバイタリティを持つかおりとの出会いは鮮烈なものでした。

 

佐藤は自叙伝(未完成)の中で、

かおりは「自分よりも好きな存在になってしまった」としています。

 

かおりの趣味や突飛な行動に合わせることは、

少しずつ、佐藤の今日までの人格形成に影響を与えました。

 

かおりはなぜ佐藤から離れていったのか

かおりが佐藤をフッた理由は明確には明かされないのですが、

回想の中で、二人の間に「ズレ」がある描写がされていました。

 

①00:49:00ごろ

結婚を前提とした同棲や両親への挨拶をほのめかした佐藤、

「ホント フツーだなあと思って」と呟くかおり。

 

②1:07:50ごろ

かおりのタバコを一口吸って「体に悪いよ」と言った佐藤、

「なんでそんなこと言うの みんな死ぬのに」と返すかおり。

 

本作は時間を遡っていくので、②は①よりも時系列的に前の出来事です。

 

おそらくこの間にも同じように、佐藤の「凡庸さ」を、

かおりが不快に思う出来事が重なっていたのではないでしょうか。

 

しかし、初対面のときのもじもじ感や、

最終的に適齢期に結婚・出産していることからも分かるとおり、

本来、かおりも「フツー」側の人間でした。

 

かおりにとって「かなりキテる」モノやヒトは理想であり、

触れる文化や行動で、理想に近づく努力をしているに過ぎませんでした。

 

しかし佐藤にとっては、かおりは「キテる」側の人間でした。

 

努力にタダ乗りするように自らを神格化されたり、

それでいて本質的にはあまり変わっていないところを見せられたら、

うざくなってしまうのも当然かもしれません。

 

残された「フツー」という呪縛

事実上のプロポーズを「ホント フツーだね」と断られた佐藤。

それを最後にかおりは佐藤の前から姿を消します。

 

これにより「フツー」であることは、

佐藤の中でまるでトラウマのように「悪」になりました。

 

惰性だとしてもしっかり仕事を続け、着実にステップアップし、

経済的にはある程度の成功すら収めた自分を「つまらない」としているのは、

この価値観によるものと言えます。

 

ボクたちはみんな大人になれなかった

さて、タイトルの「ボクたち」は誰を指すのかと考えると、

やっぱり「みんな」なんだろうなと思います。

 

今の自分になりたいって思ってた?

冒頭、キャンギャルが東京タワーを撮ろうとした、

まさにその瞬間に電気が消えてしまう場面。

 

人生なんてそんなことばっかりだよね……。

と、のっけから暗い気持ちになりました。

 

呆然としたキャンギャルは言います。

「子供のころ、今の自分になりたいって思ってた?」

 

この言葉が、本作を貫くテーマになっていました。

 

大人というゴール

子どものころ、「大人」は完成形だと思っていました。

 

身体の成長は終わっていて、精神的にも成熟していて、

あるとき「大人」になったら、人間として完成するものだと思っていました。

 

しかし、実際には、身長が止まってもハタチを過ぎても、

理想としていた姿とはおよそ遠い現実があります。

 

「かなりキテる」人間になりたいとか、

愛している人に愛されたいとか、むしろ「フツー」になりたいとか、

 

理想とする生き方にたどり着けないことに悩みながら、

作中の「ボクたち」も、みんなずるずると生きています。

 

呪いはいかにして解かれたか

本作の後味が意外なほどすっきりしているのは、

佐藤にかけられた「フツーだね」の呪いが作中で解かれるからです。

 

言い換えれば、

佐藤は最後に「大人」になれたのではないでしょうか。

 

フツーになっていたかおりとの出会い

佐藤がある日、偶然見かけたかおりのFacebook

 

そこには、友人に囲まれた幸せそうな結婚式や、

可愛らしい子どもの写真が載っていました。

 

Instagramでもなく、ましてTwitterでもなく、

Facebookなんですよね。

 

一番「まっとうな」大人っぽいSNSですよね……。

 

かくして佐藤は、かおりが、かつて彼女自身が嫌厭していた「フツー」を煮詰めたような大人になっているのを目撃したのでした。

 

しかし佐藤の呪いが解けたきっかけとして、

かおりのFacebookはあくまでもきっかけに過ぎません。

 

実際、佐藤は現在のかおりを見て「ホント フツーだね」と、

彼女の去り際の文句を引用して皮肉るような表情を見せました。

 

七瀬との再会

七瀬は、佐藤のアルバイト時代の同僚で、オネエ系のゲイです。

 

実はずっと佐藤に思いを寄せていましたが、

ノンケの佐藤を気遣って一度もそんなそぶりは見せたことがありません。

 

むしろ文通を勧めたり傷心の佐藤を励ましたりと、非常に健気

 

七瀬が経営していたオネエバーを畳んだ後は疎遠になっていたようですが、

二人は偶然にも、2020年のコロナ禍の街で再会を果たします。

 

凡庸ながら成功を収めた佐藤と違い、七瀬は人生に行き詰まっていました。

 

七瀬は、佐藤がかおりに出会って変わる前から彼を知っていて、

さらに、変わる前の佐藤をすでに好きだったことになります。

 

佐藤の何が七瀬を惹きつけたのか大々的には明かされないのですが、

佐藤が元来持つ「優しさ」が響いていたようです。

 

佐藤という人間の優しさ

(本来の)佐藤は、他人を否定するようなことを言いません。

 

寒空の下、スーの接待が終わるのを待っているようなところ、

七瀬が20年も前に言った言葉を覚えているようなところ、

自分の恩人の死に触れて気持ちが動揺してしまうようなところ、

 

そして、七瀬に、

「俺はお前に会えてよかったよ」と伝えられるようなところ。

 

そういう、佐藤が本来持つ優しさは優柔不断とも背中合わせで、

この決断力のなさが自分や他人に悪影響を及ぼすこともありました。

 

しかしその優しさこそが、

七瀬や関口を惹きつけていた彼の魅力なのだと思います。

 

七瀬によって「現実」に送り出される佐藤

七瀬にとっては、この再会は嬉しい時間だったと思いますが、

「現実に戻りなさい」と、佐藤をタクシーに押し込みます。

 

七瀬にとって、七瀬のいるアンダーグラウンドは、

もはや佐藤がいてはいけない場所になっていました。

 

住む世界が違う人間になってしまった佐藤を、

佐藤の優しさに甘んじず、自ら送り出す七瀬。

 

去っていく佐藤をその場で見送る七瀬という構図は、

かつてのバイト先を佐藤が去るときと同じでした。

 

七瀬の自己犠牲的な優しさには、ぐっとくるものがあります。

 

過去の清算と呪いからの解放

さて、七瀬に送り出された後、佐藤は、

思い出をめぐるように夜の街を走ります。

 

走って走って、かおりと初めて待ち合せたラフォーレにたどり着き、

ふたりの最初の会話を回想します。

 

ケータイも一般的でない時代、目印に同じショッパーを持って、

有名なビルの前で待ち合せ、はにかみながら挨拶をする男女。

 

そこには、フツーが煮詰まったような二人がいました。

 

「ホント……フツーだわ」と、

例のトラウマの台詞を、回想の自分たちにかける佐藤。

 

かおりも「フツー側」の人間だったことを認識したことで、

ようやく呪いが解けたように感じました。

 

そして、「フツーじゃない」大人になりたくてもがいた彼女と、

そんな彼女のことが大好きだった自分、その自分が生きてきた時間が、

間違いなく今の自分を作っているということ。

 

それらを全て受け入れて、ラストシーンの晴れ晴れとした表情でした。

 

私たちは佐藤になれるのか

「ボクたちはみんな大人になれなかった」には色々なタイプの人間が登場します。

 

過去や現在の自分と比べて、

どこか感情移入しながら見てしまう人も多いのではないでしょうか。

 

私は圧倒的に佐藤(20代ver.)タイプですが、

できることなら関口になりたいと常々思っています。

 

「楽しいこと」を知っていて、テキトーで、でもフツーに良いヤツ。

 

テキトーだけどフツーに良いヤツ役の東出昌大さんってホント、ハマりますよね。

 

しかし、ありふれた言葉を使うなら「陽キャ」と「陰キャ」というのか、

佐藤が根っから関口になることは、たぶんできないんだと思います。

 

46歳の佐藤がそうできたように、

これまでの自分の人生を受け入れて前を向いたとき、

ようやく人生が始まるような気がします。

 

色々な人の色々な面に憧れたり、影響されたりしながら、

生まれ持った性質につぎはぎをしたのが、今の自分。

 

私も、佐藤が至った境地に辿り着けるでしょうか。

 

東京で苦しんでいた自分も、いつかよかったと思いたいです。

めちゃくちゃ良い映画でした。

 

原作小説(kindle)


ボクたちはみんな大人になれなかった(新潮文庫)