テロリストも普通の人なのが悲しい「ホテル・ムンバイ」ネタバレ感想

2021年8月18日

ここ数日のアフガニスタンのニュースをきっかけに、

ずっと気になっていた「ホテル・ムンバイ」を観ました。

 

 

テロ下でのホテルの勇気ある対応を描いた物語、だと思っていたので、

(頭の中で「ホテル・ルワンダ」と混ざっていました)

 

テロに巻き込まれた人々や、

テロリストの内面も描かれていることに驚きました。

 

感じたのは、どんな人もすべて「普通の人」であるということ。

 

最初から他人を害する人として生まれるわけではなく、

何かの掛け違いで、殺す側になったり殺される側になったりする。

 

観てよかったと思いました。

 

「ホテル・ムンバイ」あらすじ

インドの大都市・ムンバイに暮らすアルジュンは、

国内有数の高級ホテルの従業員である。

 

幼い娘を妻に預けて、いつも通りにホテルへ出勤する。

その日は2組のVIPが宿泊予定で、ホテル内にも緊張が走っていた。

 

日が暮れたころ、ムンバイの主要施設で同時多発テロが発生。

ホテルの玄関にも、銃撃から命からがら逃れた怪我人が押し寄せる。

 

見殺しにできずホテルに招き入れた市民の中には、

テロリスト本人が紛れ込んでいた。

 

逃げ惑うゲストを、無慈悲に撃ち殺していくテロリストたち。

 

アルジュンら従業員は、

占拠されたホテルに残り、ゲストを守ることを決意する。

 

「ホテル・ムンバイ」はグロい?

実話を元にした映画に対し、「グロい」という指標は失礼ですが、

本作は、R-15指定となっています。

 

テロ事件を扱っていることもあり、ショッキングなシーンが含まれます。

 

主なものは銃撃と血です。

驚かせるような意図の演出はありません。

 

また、ほとんどの犠牲者が即死するため、痛がるシーンはほぼありません。

(1か所だけ怪我人を救護するシーンがあります)

 

「娘は戦場で生まれた」のときも書きましたが、

フィクションでない分、逆に怖いほどあっさりと描かれている印象でした。

 

 

グロさで遠ざけず、観てもらえたらと思います。

 

テロリストも犠牲者も皆同じ人間

テロ実行犯である少年たちは、

電話越しに首謀者から命令されるまま、残忍なテロ行為に及びます。

 

命を落とす前提の任務と引き換えに、

彼らの家族には報奨金が支払われる約束です。

 

初めて立ち入った高級ホテルに見とれたり、豪華な食事をつまみ食いしたり、

すぐにカッとなったり、かと思えば任務中に家族を想って嗚咽したりと、

普通の少年であることを強調する描写が、ところどころ挟まれます。

 

家族への想い

家族に会いたい、家に帰りたい

 

という、ゲストや従業員と同じ願いを、

テロリストたちもまた抱えながら戦っているのでした。

 

テロの首謀者は、人質になった元ロシア軍人に対し、

かつての戦場でロシア軍が行った行為への報いであると伝えます。

 

これを聞いたロシア人は、どちらにせよ殺される段にあったため、

謝るでもなく、「お前たちの母親や姉妹を殺してやった」と言い放ちます。

 

憎しみの連鎖を目の当たりにしました。

 

親密な人たちに対する愛情はすべての人が持っているのに、

人間は何かと理由をつけてそれらを踏みにじりあってきたと思うと悲しいです。

 

神は誰の上にもいる

もうひとつ、作中で印象深いのは信仰の存在です。

家族への愛と同じように、色々な人が様々なことを信じています。

 

神はテロ行為を望まれるだろうか?

テロリストたちは、

異教徒には何をしてもよい、これは神の仰せである

と首謀者から指示されますが、ときに自らの良心との間で揺れます。

 

たとえば、殺したアジア人女性のパスポートを探す際に、

ブラジャーに手を入れて探せ、異教徒には何をしてもよいと言われます。

 

しかしイスラム教においては、

相手の同意がない場合にむやみに異性の肌に触れることは禁止されているそうです。

 

今さらという気はしますが、少年テロリストは躊躇します。

(単純に、レイプ行為に近いという人間としての良心かもしれません)

 

また、イスラム教の祈りを唱える客に対して動揺してしまい、

ついに首謀者の命令に背いて見逃してしまう場面もありました。

 

彼らの中では「神」が絶対であり、

すべての残虐な行為も、神の願いに従って行われているのでした。

 

しかし、これまで培ってきた自らの中の良識(イスラム教)と、

「神が望まれている目的」のための手段が相反するとき、

ふとどうしてよいか分からないようなそぶりを見せるのでした。

 

善く生きることは信仰に優越する

一方で主人公のアルジュンは、ゲストの命を助けるために、

信仰上は人前で外すべきではないパグリー(ターバン)を差し出します。

 

個人的な考えですが、

 

神とは信仰とは、

人として善くあるべきための手段ではないでしょうか。

 

より善く生きるためのガイドラインとしての聖典や、

ロールモデルとしての神を信仰するのは、

本来、「そのように生きたい」と考えるからであるはずです。

 

テロリストの少年兵たちは、

「神が望むから」を目的に据えてしまいました。

 

それは神が悪いのではなく、

悪い人間が欲望のために神の名を騙ったからです。

 

しかし、本当の信仰心を養う環境があれば、

アルジュンのように、人間として善くあることを優先できたかもしれません。

 

テロリズムは絶対悪ですが、

立場の違いによる機会の差を思わずにはいられませんでした。

 

「ホテル・ムンバイ」の現在

本作のモデルとなったのは、ムンバイの「タージマハル・ホテル」

 

 

事件の約3週間後には営業を再開し、2年弱をかけて再建しました。

 

現在も街の象徴として営業しており、

テロ当時にホームを守るためと戦ったスタッフたちも働いているそうです。

 

もしインドに行くことがあったら泊まってみたいと思いました。