私はいまだに田中守ではない、の怖さ。「愛がなんだ」感想
「ホラー映画だから観て!!」と勧められて、「愛がなんだ」を観ました。
たしかにいやな後味の悪さがあり、その正体を自分なりに言語化してみました。
結局みんな、ただ愛されたいんじゃなくて、思い通りに愛されたいんですよね……。
以下ネタバレも含むので、未視聴の方はご注意ください。
「愛がなんだ」あらすじ
マイペースで、どこか垢抜けない女子・テルコは、結婚式の二次会で輪に入れず居心地悪げにしていたところを、同じように浮いていた田中守に声をかけられる。
「マモちゃん」との出会いは、テルコのこれまでの男性の好みを丸ごと塗り替えてしまった。
彼の気が向いたときだけ来る連絡を待って、仕事中も上の空。
お風呂に入っていても、電話が鳴ればどこへでも駆けつける。
親友に止められても、マモちゃん本人から煙たがられても、都合の良い女でいつづけてしまうテルコ。
しかしいつまで経ってもテルコは、守の恋人になれるわけでもなく……。
他人を愛することは求愛行為
「愛がなんだ」の登場人物たちは、いずれも誰かを愛し、誰かからは愛され(好意を抱かれ)ています。
ざっくり書くなら、
中原くん→洋子ちゃん→テルコ→マモちゃん→スミレさん
と好意が流れています。愛し、愛され、ふり、ふられ
そして誰もが、好意を寄せる相手からは、与えた分だけの愛情は返してもらえずに過ごしています。
しかしこの映画、
誰のこともかわいそうに思えないんですよね。
それは本作において、
他人を愛すること=自分を愛してもらうための求愛行為という描かれ方をしているからです。
他人から愛されるという承認欲求の満たし方
たとえばテルコは、自分にこれといった魅力がないことは自覚しています。
大人になってしまったいま、何の努力もなく、魅力や自信など得られません。
しかしそこで、手っ取り早く承認欲求を満たしてくれるのが他人からの愛情です。
蓼食う虫も好き好きと言いますが、自分にとって何が魅力か分からないところを良いと言ってくれる、物好きな他人がいます。
それは守にとってのテルコであったり、テルコにとっての洋子やスミレであったりします。
なんの努力もしていない現状・ありのままの自分を好いてくれる、それは無償の愛です。
気まぐれに微笑み返すことで無償の愛を確保し続けるならば、かなりリーズナブルに承認欲求を満たすことができます。
好かれると好きになってしまうのはラクだから
テルコは、「私は好かれると好きになってしまうタイプ」と自称します。
それは、恋敵であるスミレを嫌いになれないことにも表れていました。
パーティーと酒が大好きで、がさつなスミレ。
ノリが悪くてパッとしないテルコとは真逆の性格です。
しかしスミレはなぜかテルコを気に入り、たびたび連絡してくるようになります。
たとえ相手が恋敵であっても、そうやって無償の愛情を注がれることに関しては、テルコもまんざらではないのでした。
好きと言われると好きになってしまうのは、ローコスト・ハイリターンに目がくらんでラクをしてしまうからかもしれません。
私たちがテルコを嫌いな理由
それでも、テルコの身勝手さは余るものがありました。
多分本作を観ながら、「テルコ、がんばれ~~!!」と応援できる人はそんなにいないんじゃないでしょうか。
なぜ私たちはなんとなくテルコが嫌なのでしょうか。
ある種狙い通りにテルコを嫌いになってしまうのはつまり女優の演技のウマさで、岸井ゆきのすごいな……と思いました。
テルコは自己愛のかたまり
テルコは、自分のアピールのためには他人を蔑ろにし、邪険にされると今度は悲劇のヒロインぶるなど、ひたすら自己愛のかたまりとして描かれます。
風邪を引いた守に「なにか買ってきてほしい」と言われただけなのに、コッテリで見た目も悪い味噌煮込みうどんを作り、さらにニオイのキツいカビハイターをやりだします。
もうここに全てが表れていますよね。
このほかにも、守の留守中に下着を漁ってきれいに畳むなど、プライベートゾーンの感覚がバグっている描写は、かなりキツいものがありました。
守のピンチすら自分のアピールのチャンスとして捉えてしまうテルコ。
それって本当に守のことが好きなのか?と思いますよね。
他人への愛情<<<自分への愛情であるために、こういうドギツイ女ができあがってしまうのでした。
なぜマモちゃんはテルコを切らないのか
そして、テルコのべったりした愛情が、テルコのことを別に好きではない守には鬱陶しく感じられます。
テルコの行き過ぎた「甲斐甲斐しい行動」を、受け手であるマモちゃんが「嫌がる」ことで、ふたりの温度差が痛いほど描かれています。
ではなぜ守は、別に好きでもないテルコを切らないのでしょうか?
それは前述のように、都合の良いときに、自分に自信(無償の愛)を与えてくれるからです。
テルコが「尽くしている自分」を好きなように、マモちゃんも「尽くされている自分」が好きなのでした。
つまりこの二人は利害が一致しているんですね。
それが「正しい」かはともかく、今後も「守のことを好きな自分が好きなテルコ、テルコに愛されている自分が好きな守」として、たとえ付き合わなくても自家発電でうまくやっていけるのでしょう。
「愛がなんだ」にマトモな恋愛観を持つ人間は出てこないのか
本作の感想を見ると、よく「中原くんだけマトモだった」と言われています。
何をもってマトモと言うかには議論の余地はありそうです。
愛情や好意を与えることに見返りを求めないこと?
ここまで、テルコや守の自己愛にまみれた行動を批判してこそきましたが、そもそも恋愛において、自己中心的な考え方を悪として一切排除することや、等価交換だけを正しいとするのも少し違うように思います。
そのためとりあえず本作を考える上では「人を愛するときに相手への愛よりも自分への愛が先に立たないこと」をマトモだとします。
(他のキャラが特殊すぎるので、それだけでも十分なのが怖い)
中原とスミレの恋愛観
では、中原はマトモだったのでしょうか。
洋子に対して都合のいい恋人でい続けていることに対し、他人のスミレからけちょんけちょんに言われるかわいそうな男・中原。
彼だけは最終的に、自分の愛は好きな人のためにならないと気づいて身を引いています。
都合のいい男で居続けばいつか洋子を手に入れられかもしれないという淡い希望を諦め、仕事にコミットし始めました。
泥沼の恋愛から抜け出せないテルコやマモちゃんと比べるとだいぶ安心感のある人生です。
しかし中原はテルコに対し、これ以上見込みのない投資をしていたくないという気持ちがあることも告白していました。
報われない恋愛を損切りしたんですね。
つまり彼の洋子に対する愛情も、結局のところ「愛されたいから愛していた」という自己愛だったのでした。
とはいえたいていの恋愛がそうですよね。
人生は短いのですから、叶わないと「わかっている」恋愛なら本来はさっさと諦めて次に行った方が「賢明」なはずです。
それがなかなかできないのもまた当たり前のことかもしれません。
というわけで、何をもってマトモと言うかはともかく、中原がごく普通の人間というのは事実でしょう。
一方のスミレは、守のようなダメ男はうまく転がしつつ、誰かに感情を揺さぶられることもなく自分の足でしっかり立っているという、非常に安定した人間です。
「元カレは、私がお腹が減ったと言うと俺は減ってないと答え、逆に自分が行きたいときはさっさと店に入ってしまう人だった。そういう自分大好きなところがイヤだった」という台詞は、自分大好き人間の博覧会である本作の登場人物をズブズブ刺す台詞でした。
そういった意味では、スミレがもっともマトモなのではないでしょうか。
「私はいまだに田中守ではない」の衝撃
さて、本作最大にして最後の爆弾シーンは、ラストのテルコによるモノローグです。
どうしてだろう 私はいまだに田中守ではない
ん? と耳を疑いました。
ここに、「愛がなんだ」の怖さが凝縮されています。
テルコは田中守に愛されたいわけではなかった
私たちが2時間弱観てきたテルコが言いそうなのは、「私はいまだに田中テルコではない」ではないでしょうか。
つまり、こんなに愛しているのにマモちゃんが結婚してくれない!というものです。
だって、何気ない守の一言から33歳の彼の隣に自分がいる未来を妄想して、浮かれ足で会社を辞めて、二人鍋を買った女ですよ?
そこへ来てテルコが放ったこのモノローグで私たちは初めて、
「テルコは守に対する執着の本質は自己愛だと完全に理解した上で、他人から無条件に愛されたい(=自分にとっての守のポジションに就きたい)と渇望している。」
という解釈に裏付けを得ます。
「田中守になりたい」は「誰かから愛されたい」であり、「幸せになりたい」です。
彼女の望みとは、「田中守に愛されたい」ではありませんでした。
田中守すら彼女にとっては代替え可能なもので、そして彼女自身も、それを分かっているのでした。
急にメタ発言されたような怖さ
薄々(終盤の合コンシーンでほぼ決定的に)感じていたところへ、わざわざ答え合わせしてくるのが「ホラー感」の理由かもしれません。
少なくとも私は、本作の鑑賞中、テルコを愚かな女だと見下していました。
彼女はそれが自己愛であることに気づかないと思い込んでいました。
実際、フィクションとしてキャラクターを描く映画では、そのまま終わる作品も多いからです。
自分は箱の中の人形より賢いと安心していたところへ、人形が突然こちらを見て笑ったような気味の悪さ。
見透かされていたような気がして
すごく気持ちがよかったです!(笑)
二回目は、観たくはないけど……。
あと深川麻衣めちゃくちゃ可愛かったです。すごいよかった。
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