愛することは受け入れること「ドライブ・マイ・カー」感想

2022年3月28日

獲りましたね! 国際長編映画賞!

 

 

というわけで「ドライブ・マイ・カー」を観ました。

 

これから観る人に何か伝えるのであれば、

青空文庫で「ワーニャ伯父さん」を読んでから観るのがおすすめ。

 

30分あればじっくり読めます。

 

「ドライブ・マイ・カー」あらすじ

舞台俳優兼演出家の家福は、妻で脚本家の音と穏やかに暮らしていた。

 

しかしある日、家福は、音の不貞現場を目撃してしまう。

音は夫の留守中に、贔屓の俳優・高槻を自宅に上げて行為に及んでいたのだった。

 

家福がそのことを問いただせないまま、

間もなく音は突然のくも膜下出血で帰らぬ人となる。

 

2年後、家福は演劇祭のために広島を訪れる。

 

オーディションには、

音の脚本作品により俳優としての地位を築いた高槻も参加していた。

 

高槻や、送迎ドライバーの渡利と関わるにつれ、

家福は改めて音の人生に向き合うことになる。

 

劇中劇「ワーニャ伯父さん」について

本作「ドライブ・マイ・カー」では、

家福が演出を担当する舞台の上演に向けた日々が描かれます。

 

題目は、チェーホフの「ワーニャ伯父さん」

 

そのため、

稽古中のシーンなどを利用して、たびたび劇中劇の台詞が意味深に挿入されます。

 

挿入される台詞をテキスト通りに受け取るだけでも十分に楽しめます。

 

しかし、

「ワーニャ伯父さん」のあらすじや人間関係について知識があると、より深みが増します。

 

「ワーニャ伯父さん」は、

すでに著作権が切れているため、青空文庫で無料で読むことができます。

 

 

脚本を読むのは苦手という方は、

以下にざっくりとまとめましたので是非読んでみてください。

 

登場人物と「ドライブ・マイ・カー」でのおもな配役

セレブリャコーフ:

退職した元大学教授

前妻の遺した地所に、後妻を連れて隠居しにきた気難しい老人。

 

エレーナ(演・中国人の女性):

セレブリャコーフの若く美しい妻

周りからは打算で結婚したと思われているが、実際には彼の知性に惹かれた。

 

アーストロフ(演・韓国人の男性):

セレブリャコーフを往診する医師

エレーナに恋をしている。ソーニャの想いには無頓着。

 

ソーニャ(演・韓国手話の女性):

セレブリャコーフと前妻の娘

医師・アーストロフに恋をしている。優しく仕事熱心だが不細工。

 

ワーニャ(演・高槻耕史):

セレブリャーコフの前妻の兄

エレーナに恋をしており、熱心に口説く。

かつてはセレブリャコーフに心酔し、ソーニャとともに働きづめで彼の生活を支えていた。

大学教授を辞めて威光を失った彼に対し、今ではやっかみと失望の入り混じった憎しみを抱いている。

 

ヴォイニーツカヤ:

ワーニャの母、ソーニャの祖母

義理の息子であるセレブリャコーフを崇拝している。

 

テレーギン:地主、ソーニャの名付け親

マリーナ:年老いた乳母

 

ワーニャは何に怒っていたのか

劇中ではたびたび、ワーニャが怒っているシーンが挿入されます。

 

しかし、

ワーニャの気性が荒いのかというと、そうでもありません。

 

ワーニャは生きる意味を見失い、いつも鬱々としています。

 

若くして退屈な世界に閉じ込められてしまったエレーナに、

自分と似たものを感じて求愛しています。

 

しかし彼女はセレブリャコーフのものです。

 

ワーニャが欲しかった全てを持っているのに、

かつては高名な学者として名を馳せたセレブリャーコフは、

今ではただの気難しい老人に成り下がってしまいました。

 

そういった屈折した感情を抱いていたところへ、

セレブリャーコフが”資産運用の一環”として、

妹の形見でもある地所を売り払おうと言い出します。

 

そこでついにワーニャの感情が爆発して、ピストルを持ち出すに至るのです。

ワーニャが発砲するシーンは、劇中劇でも何度も登場します。

 

しかしワーニャはセレブリャーコフを殺すことに失敗し、

セレブリャーコフとエレーナは屋敷を去ります。

 

屋敷はセレブリャーコフたちが来る前の退屈な日常を取り戻し、

ワーニャとソーニャは前と同じように仕事にいそしむ……

 

この場面がラストシーンです。

 

許し許され生きていくこと

本作では、劇中劇「ワーニャ伯父さん」のセリフが、

まるで本編のモノローグのように、印象的に重ねられています。

 

家福の演出する舞台では、

全ての役者が全ての台詞を完全に頭に入れる必要があるため、

家福は日々延々と台本の読み上げ音声を聴いているのです。

 

家福の妻・音が生前に吹き込んだカセットテープは、

当時家福が演じていたワーニャの台詞を空けて、そのほか全ての台詞が吹き込まれています。

 

演出方法に合わせて、あえて感情が削ぎ落とされた抑揚のない声が、

あるときは責めるように、あるときは優しく響きます。

 

許されない二人

家福は、母を見殺しにしたことを告白した渡利にこのように伝えます。

 

「僕が君の父親だったら、君のせいじゃないと言って肩を抱いてあげたい。けどできない」

 

それは、家福が渡利の父親ではないからでも、

彼が過去に彼女と同い年の娘を亡くしていて、父親としての経験を失ったからでもありません。

 

彼もまた妻の死の原因を作った(と考えている)ことで、

渡利を赦せる立場になかったためです。

 

ふたりは同じように、

替えのきかない人物を殺し、自らも傷つき、暗い水の中にいました。

 

高槻という男

本作の重要人物・高槻を演じたのは岡田将生さんです。

 

とんでもなく綺麗なお顔とモデル体型で、

音の作品によりブレイクしたという説得力は十分でした。

 

しかし岡田将生さんが出てくると何か落ち着かない、

恐ろしいことが起きるような胸騒ぎがするのはなぜでしょう(笑)

 

高槻が家福に与えた気づき

さて、

高槻の告白により、家福は音の人生に新しい可能性を見出します。

 

彼女の秘密は、

家福自身が秘密のままにさせたものでもあったのではないか?

というものです。

 

音は間違いなく家福を愛していました。

 

その一方で、おそらく不貞は彼女の制作活動、

インスピレーションにとっては必要なものでもありました。

 

家福を心底愛しながら高槻を抱くことは、彼女に関しては両立することでした。

 

それを家福が責め、話し合い、受け容れたり受け容れなかったりして、

なんにせよお互いの間に折り合いがついていれば、

あの日早く帰って倒れた音を搬送するよりも、

よほど未来は変わっていたはずでした。

 

高槻やほかの男を抱いていることを音が家福に知らせたかったのは、

彼女の特殊な性癖ではありません。

 

許してほしい、助けてほしいというヘルプだったのだと思います。

 

音の苦しみを音だけに押しつけていたのは、

二人の関係が変わることを恐れてしまった自分でもあるのだと、

家福は高槻との対話により気付かされたのでした。

 

高槻はなぜ現れたのか

高槻は、音とその作品に惚れ込み男女の関係になります。

 

彼女を喪った後は、

スキャンダルにより、せっかく築いたキャリアも失っています。

 

そんなやぶれかぶれの状態でも、

かつて心酔した女性の夫が主催するオーディションに現れました。

 

妻が寝取られていたことを知らない夫にマウントを取りにやってきたのでしょうか?

 

違います。

高槻という男は、音と家福の脚本に似たものを感じていました。

 

音が夫である家福の影響を色濃く受けた可能性もありますし、夫婦は似てくるという話なのかもしれません。

 

とにかく高槻は家福を純粋に尊敬し、

同時に、音の思いを晴らしたかったのだと思います。

 

音は家福に不貞の秘密を打ち明けたがっていました。

 

彼女の苦しみが家福に受け入れられ、和らぐことは、

高槻にとっても幸福でした。

 

愛する音と、愛する音が愛する家福。

二人の幸せのために、高槻は音にまつわる真実を伝えたかったのではないでしょうか。

 

ワーニャ伯父さんと家福

高槻との対話により、ようやく音の生涯と自分の弱さに向き合ったとき、

でももう遅い、と家福は嘆きます。

 

音は死に、高槻も罪を犯して舞台を去りました。

 

家福に残された道は、

ワーニャとして舞台に立ち、自らに向かい合うか、

劇を中止してまた問題を先送りにするかの二択です。

 

迷う家福を渡利はそっと包み、傷ついた二人は固く抱き合います。

 

その姿は、ラストシーンのワーニャ伯父さんとソーニャそのものでした。

 

ソーニャがワーニャに掛けた言葉

以下は劇中何度も印象的に登場する、ソーニャの長台詞です。

劇中劇では台詞の言い回しが異なりますが、内容はこのままです。

 

ワーニャ伯父さん、生きていきましょうよ。

長い、はてしないその日その日を、いつ明けるとも知れない夜また夜を、じっと生き通していきましょうね。

運命がわたしたちにくだす試みを、辛抱づよく、じっとこらえて行きましょうね。

今のうちも、やがて年をとってからも、片時も休まずに、人のために働きましょうね。


そして、やがてその時が来たら、素直に死んで行きましょうね。


あの世へ行ったら、どんなに私たちが苦しかったか、どんなに涙を流したか、どんなにつらい一生を送って来たか、それを残らず申上げましょうね。

すると神さまは、まあ気の毒に、と思ってくださる。


その時こそ伯父さん、ねえ伯父さん、あなたにも私にも、明るい、すばらしい、なんとも言えない生活がひらけて、まあうれしい! と、思わず声をあげるのよ。


そして現在の不仕合せな暮しを、なつかしく、ほほえましく振返って、私たち――ほっと息がつけるんだわ。

わたし、ほんとにそう思うの、伯父さん。心底から、燃えるように、焼けつくように、私そう思うの。

 

アントン・チェーホフ「ワーニャ伯父さん」より引用

 

ソーニャは自らも生きる苦しみの中にありながら、聖母のようにワーニャを包み込むのです。

 

結局、家福は舞台に立つことを選びました。

この台詞の場面で劇中劇の舞台は暗転します。

 

生きていく二人

「ドライブ・マイ・カー」の本編はもう少し続きます。

 

時が経ち、韓国のスーパーマーケットにいる渡利の様子が映ります。

 

駐車場には家福の車があり、

どうやら二人が過去を受け入れ、今も懸命に生きていることがわかり幕が閉じます。

 

死んだ人のことを考えながら、残された人は懸命に生きていくよりほかありません。

 

人生はいつか終わります。

そのとき、神様に、あるいは先に死んだ愛する人に、隠せず話すことのできる人生でありたいと思います。

 

とても美しいラストシーンだと思いました。