残酷な社会階級の暗喩「パラサイト」ネタバレ感想

2020年4月26日

 

韓国では、「半地下」とよばれるタイプの住居に暮らす人が、全体の2%ほどいるそうです。

 

2019年時点の日本全体の人口に占める外国人の割合が2%なので、あれ? 2%って結構いるな? という印象になるのではないでしょうか。

 

そもそも半地下とは?

1968年、北朝鮮の朝鮮人民軍のゲリラ部隊が当時の朴正煕韓国大統領の暗殺を計画し、潜入した青瓦台襲撃未遂事件が発生。大統領官邸が襲撃された。

 

以降も武装した北朝鮮工作員が韓国に侵入するテロ事件が相次いだ。そのため、1970年の建築基準法改定では新築の低層住宅には国家非常事態のための防空壕として地下室を設置することが義務づけられた。当初は貸し出すことは禁止されていたが、1980年代にソウルを中心に住宅不足危機になると貸与が解禁された。

 

今日に至っても、特に家賃急騰が続くソウルでは20代の平均月収が約200万ウォンで、月々の家賃は約54万ウォンと収入のうち家賃が占める割合は高く、貧困層にとって半地下物件は重要な選択肢の一つになっている。

 

日光が届かず薄暗く、夏には蒸し暑く、湿度が高いためにカビが発生しやすい。

天井が低く、頭をぶつけないように両脚を思い切り広げるうように立たなければ頭をぶつけてしまうような物件もある。

 

(引用:Wikipedia「半地下」)

 

本来は居住用ではないスペースを、格安物件として貸し出すようになっていて、そこに住まざるを得ない人が2%いるってことなんですよね。

 

以下ネタバレしかない感想です。

 

自分より下は「いない人」

本作には3種類の階級の人々が登場します。

 

上流階級:パク一家とその友人たち

中流階級:長男の友人・ピザ屋の店長・通りすがりの酔っ払い

下流階級:主人公一家・地下夫婦

 

タイミングが一つ違えば立場は逆だったなんてよく言いますが、

入れ替わるといっても所詮同じ階級の中でしかないと私は思います。

 

空は高く、足は地についています。

上のことは見上げれば見えますが、足元より下のことは見えません。

 

自分が最下層だと思ったとき、それは同階級の最下層でしかなく、

認知していないところにこそ、実はもっと下があるのかもしれません。

 

半地下の部屋や、隠され認知されていない地下室は、

精神的にも物理的にも、それより上の階級の人の視界には入りません。

 

半地下にも人が住んでいることを忘れて(あるいは気にせず)放尿しにくる酔っ払い、

半地下特有のニオイがぴんとこないパク夫妻には、それらがよく表れています。

 

父にとって愛とは?

階級格差がはっきりと描かれる本作で、唯一平等であるように扱われているのが「愛」です。

 

地下夫婦が「老後は愛で乗り切る」と話すときに映り込むコンドームの山と、

パク社長が「妻を愛している」というシーン。

 

二つの家庭を保たせているのはいずれもだとわかります。

 

そして、美しく純粋ながら愚鈍な妻を持つパク社長に、

半地下父が「でも愛しているでしょう」と訊くシーンが二回あります。

 

初回、社長はなんとなく怪訝な顔をするのですが、

二回目ついに「今は仕事中ですよね?」と父をたしなめます。

 

愛というプライベートな部分は、

社長にとって、使用人に踏み込まれたくない領域でした。

 

そんな失礼を犯しながら、社長に二度も確かめた父にとって「愛」とはなんだったのか。

鑑賞以来ずっと引っかかっています。

 

半地下の夫婦に「愛」はない

本作の父と母の間に、

前述した地下室夫婦やパク夫妻のような「愛」はなかったように見えます。

 

一家でチームのように暮らしていて、もはや「情」しかなかったとしたら、

彼らから「愛」を奪ったものはなんだったのでしょう。

 

貧困ではないことは、地下室夫婦が示しています。

子供ではないことも、パク一家が示しています。

 

もしかしたら、

彼ら半地下夫婦の間には、元々「愛」はなかったのではないでしょうか。

 

お見合い結婚などで、心の繋がりはなかったのかもしれません。

 

お見合いの根拠となるシーンが思いつかないので、深く言及はしませんが、

父は今でも「愛」に対し、すべてを解決する万能薬のような憧れを抱いているようでした。

 

繕っても本質は変えられない

物語が終わりに向かうにつれ、

すべてが計画通りに進み、半地下家族も経済的に余裕が出てきます。

 

そうしたとき、半地下家族が、

まるで自分たちの階級が上がったように振舞うシーンが目に付くようになります。

 

酔っ払い(中流)に物申せるようになった長男

前家政婦夫妻(下流)を最も積極的に見捨てようとする母

社長(上流)と対等に話をしようとする父など……。

 

高望みをした父の”転落”

そういったふるまいは、とくに父に顕著でした。

 

前述の社長との会話のように、

自分も上流階級の仲間に入れてもらえる気でいたらあっさり突き放されてしまいます。

 

共感性羞恥をおぼえる人ならかゆくて死んでしまいそうです。

 

ナイーブついでに、ホームパーティで死んだ地下室の夫を自分と同一視し、

彼の亡骸を無下に扱われたことで一気に精神が転げ落ちてしまいました。

 

半地下よりさらに下の地下室へ逃げ込むことは、心理的な落下の表れです。

 

結局、人の本質は変わらないのです。

どんなに取り繕っても、家族から「生乾きのニオイ」が消えなかったように。

 

解決策がない社会階級問題

ただ、人の本質が行動原理であるとするなら、それを構築する環境を変えるチャンスが与えられないこと、つまり、生まれ落ちた階級で生きる以外の選択肢がないことこそ、社会的な問題なのではないでしょうか。

 

たとえば、半地下の妹はこの物語の中でイレギュラーでした。

下流の生活を意に介しておらず、上流のパク夫人にも始めから強くものが言えて、「階級」問題の外側にいた存在といえます。

 

そんなこともあってか、高級な風呂が似合う(≒上流階級にいても違和感がない)と兄に言われています。

 

彼女なら、上流階級の男と結婚できたかもしれません。

 

しかしいかんせん彼女の階級では今後もそんなチャンスはなかったでしょう。

そして彼女は、半地下家族で唯一殺されてしまいます。

 

やっぱり人生って、生まれ落ちた瞬間に「上がり」の位置は決まっているのかもしれませんね。

 

そんな問題を解決策のない残酷なかたちで見せつけたのが、本作「パラサイト」でした。

 

 

「パラサイト」はU-NEXTでも観られます。