思いがけずオシゴト映画だった「ハケンアニメ!」ネタバレ感想
吉岡里帆無限回収の一環として「ハケンアニメ!」を観ました。
なんとなく「バクマン。」のような業界事情バリバリのストーリーをイメージしていたのですが、蓋を開けてみるとアニメ業界特有の描写は控えめで、より多くの人が共感しやすいオシゴト映画だと思いました。
いわゆる悪役のずっと嫌な人も出てこず、個人的には好きな映画でした。
そしてお目当ての吉岡里帆が安定してかわいい……。
「ハケンアニメ!」あらすじ
王子千晴監督の伝説的アニメ作品に衝撃を受けた斎藤瞳は、自分のような孤独を抱えた人間にアニメで感動を届けたいという希望を抱き、未経験の業界に飛び込んだ。
国立大卒で前職は県庁という異例の経歴に加え、20代女性という話題性も相まってか、連続アニメ「サウンドバック 奏の石」通称「サバク」で、念願の監督デビューを果たす。
しかし、瞳の情熱はなかなかスタッフに伝わらず、スタジオ内ではすでに若干孤立気味。
敏腕プロデューサーの行城が仕切る広報行脚にも振り回されながら、日々作業に追われている。
一方「サバク」のライバル枠には、王子監督の復帰作「運命戦線リデルライト」通称「リデル」が放送予定。
憧れの王子の対談で「負けません」と啖呵を切った瞳だが、放送前のアニメファンからの期待値では、圧倒的な差を見せつけられてしまう。
視聴率、映像ソフトやグッズの売上、話題性……
同クールの中で最も成功した作品に贈られる称号「覇権アニメ」を目指し、両監督とその周りの人間は命を燃やすのだった。
「ハケンアニメ!」原作作品
本作には原作小説があり、Kindleや文庫にもなっています。
映画版でもすっきりまとまっていた印象でしたが、興味のある方はぜひこちらも。
以下はネタバレを含む感想ですのでご了承ください。
業界に限らず共感できるオシゴト映画
「ハケンアニメ!」には、仕事をする上で必要になるコミュニケーションや、仕事そのものへの向き合い方に関する様々なヒントが散らばっています。
「プラダを着た悪魔」とか好きな人は好きなんじゃないかと思いました。
「良い作品」を作りたい瞳は、周囲との温度差を感じて苛立ちますが、やがて「自分の正解」だけに固執した自分自身が作品作りのノイズになっていることにも気づいていきます。
一人で仕事を完遂することはなかなかできません。
そうしたとき、周囲とのすり合わせや、あるいは一見遠回りに見えるような作業が、良い結果を生んでいくことがありますよね。
自分だけが頑張っていると思わないこと
同クールに天才監督の復帰作があるとあって、社内の雰囲気は若干負け戦気味。
「元官庁職員」「女性」「20代」などキャッチ―な肩書を持つ新人監督である瞳を苦し紛れに充てたとか、「彼女にやらせる」ことが目的だと、周りだけでなく瞳自身ですらうっすらと感じていました。
しかし、相手が誰であろうと大敗すればそれは失敗。
瞳は今作がダメならもう監督はできないかもしれないという背水の陣の気持ちで、作品作りに臨みます。
思うように動かせない現場だけでなく、敏腕プロデューサー・行城との衝突も瞳を追い詰めました。
行城は監督に瞳を抜擢した張本人ですが、ただでさえ製作に追われている瞳をプロモーションに連れ回します。
そしてついに、「サバク」のシリアスな世界観をガン無視した能天気なタイアップCMを放送したことが瞳の逆鱗に触れるのでした。
よくシリアスな作品のキャラクターが私服でローソンの前に立ってるタイアップイラストとかありますけど、たしかにびっくりしますよね。
良い作品であればおのずと多くの人に届くと主張する瞳に対し、行城はどんな手段であれまずは視界に入ることが大事なのだと言います。
業界未経験での中途入社ながら28歳という若さで監督を任された瞳に、まだそういった政治的な視点がないのがリアルだなと思いました。
行城の言葉にまだ納得できない瞳でしたが、偶然にもライバル作品「リデル」のプロデューサー、そして「サバク」主役声優と会話をしたことから、自分以外の作品関係者の存在に目を向けることになります。
主人公の心情を理解していないと思っていたアイドル声優が、モデルとなった田舎まで行って役作りに臨んでいたこと。
客寄せの役割を理解しながらも、それも自分の役割と受け入れてまっとうする気でいること。
自分の監督抜擢にどこか実力外の打算的な要素を感じていた瞳にとっても思うところがあったのか、このあたりから彼女にとってのプロモーションへの考え方は少しずつ変わっていきます。
「正解」つまり「誰かの心に刺さるアニメ」が、「クオリティの高いアニメ」だけではなくなっていきます。
「刺さる」はあくまでも視聴の先にあること。
「刺さる」かもしれない誰かに届けるためには、まずは手段を選ばずともできるだけ多くの人にリーチすることが大事だと、実態として腹落ちしたんですね。
たしかに行城は有無を言わさずプロモーション方針を決めていたのですが、これ以前の瞳であれば、仮に丁寧に説明されていたとしても納得しなかったと思います。
プロモーションを通じて作品に対する考え方も変わった瞳は、それまでおろそかにしていた周囲との認識合わせにも尽力するようになり、徐々に周囲も瞳のやりたいことを理解し協力してくれるようになりました。
これにより、結果的に「サバク」のクオリティ自体も上がっていくことになります。
行城みたいな人がいるから現場は回る
最後まで観たら絶対大好きになってしまうキャラクター第一位・行城P……
作中で何度か差し込まれる、瞳の入社面接のシーン。
いかにも役所にいそうな、おとなしそうな若い女性が、淡々としかし情熱を持って志望理由を述べています。
「昔の自分みたいな子たちに届くアニメを作りたい」
「子どもたちの記憶に残るような いつか心の支えになるような そんなアニメを作りたい」
「そのためにここへ来ました」
当時の瞳はその場に行城がいたことを覚えていませんでしたが、立ち合っていた行城は、彼女の言葉や気概に心を揺さぶられていました。
最後の回想シーンで初めて行城がいたと分かるシーン、何度見てもぐっときます……。
観た人を感動させる作品の条件は、瞳が信じていたように、脚本や画や演技といったクオリティの高さかもしれません。
しかしどんなに素晴らしい作品も、観られなければ意味がありません。
良い作品であれば自然に届くという瞳の主張は綺麗ごとで、運任せとも言えます。
実際には現代人は忙しく、能動的に情報を集めている人間はすでにマニアともいえる少数派だからです。
だからこそ、多くの人に届けるためにはテクニックが必要です。
それはタイアップであったり、話題に乗っかることであったり、キャッチ―な肩書であったりします。
ありとあらゆる手段を使って作品をPRする行城は、時にアニメを商材としか観ていない冷血漢のように映り、製作陣の中にはよく思っていない人間もいました。
しかし売上しか頭にないように思われている行城もまた、アプローチ方法が異なるだけで、アニメをたくさんの人に届けたい・誰かを救いたいと考える一人なのではないでしょうか。
勢いのある他社から監督として誘われている瞳の退社をあえて後押しすることからも、自社の売上以前にアニメ業界全体を素晴らしい作品で盛り上げたいという、秘められた情熱を感じました。
アニメ業界に限らず、良い仕事が適切に評価されてお金を生むためには、行城のような回す側の人間が必要なのだと思います。
ちなみに行城P、あえて冷血漢に徹しているというよりも、自分をよく見せるために割くコミュニケーション・リソースがあったら仕事に振りたいだけのタイプっぽい。
強引だし説明不足なところも多いんですけど、誰かに「嫌なこと」を言っているシーンはないんですよね。
「サバク」と「リデル」の最終回
さて、同クールでの覇権争いを演じた「サバク」と「リデル」
天才監督の復帰作で前評判の高かった「リデル」を、後半徐々にクオリティを上げた「サバク」が追い上げる形となりましたが、視聴率自体はついに勝てないまま最終回を終えました。
しかし実は「サバク」と「リデル」は、どちらもギリギリのスケジュールの中、監督の一存により直前でエンディングが変更されています。
「サバク」は、本来のエンディングでは主人公から少しずつ失われていた「音の記憶」が全て取り戻される予定でしたが、失ったままに変更。
「リデル」は、本来のエンディングでは報われない死を迎えるはずだった主人公たちが、視聴者の予想を裏切る形で逆転勝利するものに変更。
お互いの知らないところで、ある種入れ替わったようなエンディングとなったのです。
それぞれの監督にどのような心情の変化があったのでしょうか。
失ったから手に入るもの
最後の最後に「奇跡」が起きて、これまで諦めて犠牲にしたものがすべて返ってくる。
そんなよくあるハッピーエンドで締めくくられるはずだった「サバク」
しかし瞳は、失ったから手に入るものもある、失った先にもハッピーエンドはあるとして、最終回の変更を製作チームに相談します。
瞳の「サバク」製作過程としては、孤独な戦いから始まり、むしろ色々なものを得たことでハッピーエンドにたどり着いたはずです。
なぜこのような結論に至ったのでしょうか。
それは、まさに失った先のハッピーエンドが、今現在だからです。
「サバク」の新エンディングでこそ、世間からどこかはみ出したような気持ちで日々を過ごしていた頃の瞳を肯定することができるのではないでしょうか。
そしてそのコンセプトこそ、瞳が作りたい届けたいと思っていた作品そのものです。
しかし、言ってしまえば努力が報われない、失ったままのエンディングは分かりやすいとは言えず、商業的に成功するかは賭けになります。
工数増加もあいまって難色を示すメンバーもいましたが、大手だからこそ挑戦的な作品も生み出せる体力があるとして、行城を中心としたメンバーが後押しし、新エンディングが採用となりました。
また、視聴率という面では「リデル」に及ばなかったものの、ソフト売上ではついに首位を取ることができた「サバク」。
失ったから手に入るものもある、あなたは大丈夫という瞳の切実な思いが刺さった人々が確実にいるということが、数字にも表れたのでした。
王子はどうして主人公を生かしたのか
さて一方、文句なしの覇権アニメとなった王子監督の「リデル」
王子監督は、伝説的な人気を誇る前作に後悔がありました。
それは、スポンサー等の意向により本来やりたかった結末を変えてしまったこと。
本来主人公が命を落とすはずだったのを変更したため、今作ではなんとしても主人公を「殺す」と意気込んでいます。
一方、当然のことながら「リデル」のプロデューサーは、王子監督のネームバリューに期待するスポンサーや売上への影響を懸念して、なんとか改めるように王子監督を説得し続けています。
しかし最後には、自分が全てを引き受けるので好きなようにしてよいと腹をくくりました。
ここの尾野真千子かっこよかった……!!
そして満を持して大問題作を生み出してしまうのかと思いきや、王子監督が選択したのは「死なない」エンディングでした。
お前ら私たちが死ねばいいと思っただろうけど
おあいにくさま! 古いんだよ! 死ななきゃ花道にならない感動なんて!
どんな姿でも 誰にも望まれなくても 絶対に生きてやる!
そんな私たちを どんなに醜くっても 責任もって愛してよ!
台詞の一言一句がTwitterでトレンドに入りまくるのが見えるメタメタの台詞。
なぜ王子監督は、彼女たちを殺すのをやめたのでしょうか。
当然、スポンサーへの忖度でも、プロデューサーへの配慮でもありません。
ただ、殺す必要がなくなったのだと思います。
「あれみたいなやつまた作ってよ」みたいな期待のされかたをするとき、人は過去の自分との戦いを強いられます。
超えられるのか以前に、自分のやりたいことと乖離させられてしまう圧力。
それに抗い、一泡吹かせるための手段として、王子監督は「主人公の死」を想定していたと思います。
つまり「リデル」にとって必要だったからではなく、「前作へのリベンジ」です。
しかしプロデューサーが、すべてを敵に回しても、今の王子監督が作るものを受け入れるという姿勢を見せてくれました。
ここで初めて、王子監督は「リデル」のエンディングについて考えることができたのではないでしょうか。
そして出てきたのが「そんなの古い」「どんな私も愛して」という台詞たち。
過去の自分に勝ったことは自分だけが分かっているというのもカッコイイですよね。
吉岡里帆が好きすぎるシーンの話
さて、そんなオシゴト映画「ハケンアニメ」
全編通してよかったのですが、最後に、個人的・ベストオブ吉岡里帆のシーンを挙げたいと思います。
根暗にしか見えない怒りの爆発演技
行城不在の取材帰り、同行してくれたメンバーが行城の陰口を叩くシーンで、瞳は激高します。
(前略)
その人が私の名前覚えてくれているだけで 私がどれだけ誇らしい気持ちか分かりますか。
”斎藤監督”って言われて仕事してるんですよ。私もうそれだけで十分幸せです。
全然かわいそうじゃない!!
この、この、「かわいそうじゃない!!」
絞り出すような泣き出しそうな叫びが、ひえ~~~吉岡里帆すげ~~~となりました。
本当に「カルテット」のアリスちゃんと同じ人???
こういう台詞って、叩きつけるようなヒステリックな叫び声になりがちだと思うのですが、人前で感情を出し慣れていない瞳ならそりゃこうなるだろうという発音なんですよね。
ここだけでも個人的には観てよかったな~と思いました。
ちなみにこのあとひょっこり現れる行城P、飄々としていて好き。
「ハケンアニメ!」ぜひご覧ください。
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