【旅行エッセイ】グランド・キャニオンに行くと人生は変わる?
グランド・キャニオンに行くと人生は変わる?
本記事は、2017年の経験について2021年に書き、知人のブログに寄稿していたものです。
知人のブログが閉鎖し読めなくなりましたが、大切な思い出なので自分のブログに転載したいと思います。
ガンジス川に浸かった親戚のお兄さん
私の親戚に変わったお兄さんがいる。
母のいとこなので、正確には「いとこおじ」と言うらしい。
動体視力が人並外れていて、特技はスロットの目押し、「\」マークを付ければどんなに大きな数字でも暗算できる。
いつも飄々としていて、年齢不詳で、普通に話していても原因不明の説得力がある人だ。
そんな彼に久しぶりに会ったのは、曾祖母のお通夜だった。
曾祖母は大往生だったので、いわゆる「お通夜のような」雰囲気はまるでなく、彼女が生前に愛した一族での旅行のような、和やかな集まりだった。
夜が深くなってくると、彼は退屈し始めた年下の子どもたちを集めて、夏にインドに行ってきた話をした。
少し立ち止まるとワッと人に囲まれてスリに遭ったり物乞いをされたりしたこと、盗品の宝石の運び屋をさせられてあやうく命を落とすところだったこと、そんな話を相変わらず淡々と一定のリズムで話すので、私たちはおかしくてケタケタと笑った。
そして、インドの太陽でこんがりと日焼けした彼は、しみじみと言った。
「ガンジス川に行って、人生観が変わったよ」
すでにこんなに面白おかしくやっていそうな人間の人生観すら変えてしまうのか、インドは。
やはり人口13億人超を包み込む川は伊達ではないのだと思った。
能動的な思い出
曾祖母のお通夜に行ったとき、私は大学4年生だった。
就職がようやく決まり、次の春で地元を離れる予定という、よくあるルートをたどろうとしていた。
同じころ、アメリカの大学へ進学した友人からメッセージが届いた。
「最近引っ越しをして、グランド・キャニオンが近くなったんですけど遊びに来ませんか?」
コストコができたくらいのテンションである。
一般的な日本人の人生において、「グランド・キャニオンが近く」はならない。
一旦メッセージアプリを閉じて、グランド・キャニオンをネットで検索した。
薄い下敷きみたいな青色の空の下、レンガ色の岩々がどこまでも続く、スクリーンセイバーでよく見る風景画像だった。これがこの地球のどこかには実在するのか。
お通夜で聞いた、お兄さんの言葉を思い出した。
気づけば私は、「行く」と返信していた。
ベルトコンベアーに乗せられたように、勉強してレポートを出して試験を受けて進級しただけの学生生活だったので、なにか能動的な思い出をひとつ作ろうと思ったのだ。
1か月のスピード渡米
そこからは大忙しである。
アメリカへの出発日まで1か月を切っていたので、翌日すぐにパスポートの申請に行った。
フライトは往復約11万円で、脱毛サロンの契約を除けば、私の20代で最も大きな買い物になった。
旅程は6泊8日。
まず、地元の新千歳空港から成田空港へ。
成田空港からダラスへ飛び、さらにアルバカーキ行きの飛行機に乗り継ぐ。
アルバカーキ空港まで友人が迎えにくることになっており、そのあとは友人の車で国立公園をあちこち回るのだ。
物心ついてから国外に出るのは初めてだ。
英語に出会ってからというもの一度たりとも得意科目だったことはなく、中学時代のテストでは教科書を丸暗記して臨んだし、大学は英語の試験を受けなくても入学できるという理由で選んだ。
まさかその大学を出る前に、14時間の渡米フライトを一人で過ごすことになるとは、思いもしなかった。
生きていると色々なことがあるなあと思いながら、急いで買った7泊用の大きなキャリーケースに荷物を詰めた。
世界は思ったより親切だった
“世界一治安のよい国・日本”の外に出れば、世界はスリとぼったくりと差別にあふれていると思っていた。
「地球の歩き方」で、お金は小分けにしてあちこちに入れるとよいとで読んだので、リスのようにあちこちに小分けにしてしまい込み、驚くべきことにそのうち半分を札幌の実家に置き忘れて出発した。
成田空港でそのことに気づいたとき、こんなことではこの先どうなってしまうのかと目の前が暗くなった。
しかし、小柄な日本人女性に、世界は思ったより親切だった。
搭乗後、頭の上の物入れにウンウン言いながら手を伸ばしていたら、客室乗務員がキャリーケースを入れてくれた。
ダラスまで乗り合わせた白人男性は、聞いてもいないのに、にこやかに「これから僕はワシントンに行くんだ!」と教えてくれた。
彼は私が眠っている間の機内食を取っておいてくれたり、私が客室乗務員に手渡したいゴミを嫌がりもせずパスしてくれたりした。
彼は最初のドリンクサーブで、小さなブランデーをもらっていた。
しかしその後、私が「same one,please.」しか言えない(初回にペットボトルの水をもらおうとしたら、”water”が通じなくて心が折れてしまった)のを察してか、ノンアルコールのドリンクを私の分まで頼んでくれるようになった。
ダラス空港でアルバカーキ空港行きの小さな飛行機に乗り換えると、ついに日本人は私だけになった。
搭乗してみると様々な人種が入りまじったラッパー風のグループがいて、何やら楽しそうに歌っていた。
愉快な旅になりそうだったが、それは彼らが盛り上がっているのが私の席でない場合である。
おそるおそるチケットを見せると、ガタイのよい黒人男性は申し訳なさそうに眉を下げて、彼のチケットと交換してくれたのであった。
ホテルの中ですれ違う人が家族のように挨拶をしてくれる。
老若男女問わずエレベーターやドアを開けて待っていてくれる。
店員がガムを噛んで椅子に座ってさらにスマホをいじっている。
資料館のスタッフが気さくに声を掛けてくる。
ハンバーガーショップのハンバーガーが顔ほどある。
空のコップを渡されてきょとんとしていたら、ドリンクはセルフサービスでおかわり自由だという。
でも無糖の飲み物がコンビニ含めどこにもない。スーパーが遭難しそうなくらい広い。
鳥の足がありふれた食材として売られている。
日本とあまりに違う人々のありかたや文化には、グランド・キャニオンの雄大さよりもよほど衝撃を受けた。
スクリーンセイバーの外側
もちろんグランド・キャニオンとその一帯にも驚いた。
車で少し走れば訪れることのできる観光地のどれもが、Windowsのデフォルトの壁紙で見たことがある風景だった。
Z世代の人にはピンとこないかもしれないけれど、私が子どものころのパソコンはインターネットに接続していない時間の方が長く、デフォルトでインストールされているスクリーンセイバーが繰り返し表示されていた。それらには世界の有名な観光地が多くて、文字通り「親の顔より見た」風景というものがあったのである。
でもそれが、どの国のどのあたりにあるかなど、気にしたこともなかった。
そしてそれらの風景を眼前にして、スクリーンセイバーの画面の外は、こんなにも広かったのかと衝撃を受けた。
Horseshoe Bend
ホースシュー・ベンドは中央の陸地からではなく、砂丘を上った先であの丸く飛び出た陸地ごと、円状の河を臨むものだった。
生きているうちにもう一度行きたい。今度こそ上手に画角に収めたい。
河は想像以上に遠く、写真で見ていたときは沼のように見えたのに、目を凝らすと穏やかでするするとした流れがあり、ずっと見ていても飽きなかった。
Antelope Canyon
アンテロープキャニオンの写真に見る、あのさらさらと日に照らされる砂は、ツアーガイドが下から人力で投げ上げてシャッターチャンスを演出したものだった。
「今だ!ジャパン!撮れ!」
ハイテンションなツアーガイドは、私たち参加者の出身地を順々に聞くと、ジャパンやジャーマンなどと呼んだ。
Bryce Canyon
人形のように見える細くてでこぼこした岩がたくさんある。かつては海中に沈んでいたらしい。
この景色が出来上がるまでの途方もない時間を思うと、人の一生なんてまばたきの間のように感じた。
私たちは幸運なことにほとんどの土地で天候に恵まれ、空はいつも高く澄んでいたので、まさに「世界の絶景」で見たことのあるそのままの風景を見ることができた。
出会うはずのなかった人々に出会う旅
グランド・キャニオン周辺で出会う人々は、観光地ということもあってか話好きで、出身地や年齢をよく聞かれた。
私の年齢が22歳(当時)だと知ると彼らはものすごく驚いて、うち一人などは十代前半に見えるとまで言った。
私はアジア人の中でもさらに小柄な方であるし、ことさら日本人は若く見えるとは聞いていたが、さすがにこちらも驚いた。
私自身も、彼らの年齢はさっぱり分からなかった。
アンテロープ・キャニオンでたまたま出会った観光客と情報交換をした後、「さっきのおじさんさ……」と友人に話しかけたら、彼は「おじさん?」と不思議そうな顔をしてから「ああ、さっきのインド系の人? 彼はたぶん同い年くらいだよ」と言った。
そもそも私は英語が話せないので、彼がインド系ということも分からなかったが、会話をした友人は訛りでそう判断したのだ。
オクラホマで理系の学生をしていると友人に話していたらしい。
当時札幌の街にいる外国人といえば、雪まつりのシーズンを除けばアジアからの観光客がほとんどで、よく考えて見れば私は、自分と人種的に遠い人類とは対面したことがほぼなかった。
年齢や人種がこんなに予測できない人類がいることを想像したこともなかった。
札幌に引きこもっていたなら、それに気づくことはなかったか、もっともっと後になっただろうと思う。
6泊8日のアメリカ旅行から帰ってきて
帰りのフライトではコーヒーばかり飲んだ。
アメリカに滞在した6日間の間に、私は自分の「coffee」の発音が店員に通じるようになったことを確認できていたのだ。
成田空港にたどりつき、いそいそとトイレに向かう。
足元が広く開いていることのない、アメリカのそれに比べて圧倒的なプライベート感のある個室。
そうしていると、あまりに慣れ親しんだ便座からの景色によって、過去1週間どころか、ついさっき誇らしげにコーヒーを頼んだ自分すら、すべて夢のように遠ざかって行く気がした。
グランドキャニオンを見て感動しても、私は照れ屋で怠惰なままで、特に新たな人生の目標ができたりはしなかった。
でも、画面の中でしか見たことのなかったグランド・キャニオンが、アメリカという国が、本当に海の向こうにあった。
それを自分で決めて見に行ったのだという経験は、なんとなく私の人生に光を灯した。
これが「人生観が変わる」ということなのであれば私は自信をもって言う。
グランド・キャニオンに行くと人生が変わると。
グランド・キャニオン旅行6泊8日の旅程
以下の旅程が参考になれば嬉しいけれど、なにぶん移動時間が長い。
(帰りに見た車の記録では、なんとトータル6000km移動していた)
時間が有限であることをまだ知らない学生の身分だったからできた贅沢かもしれない。
一日目:深夜アルバカーキ空港に到着。Ramada Albuquerque Airport Hotelに宿泊。
二日目:移動の1日。通りすがりの隕石博物館に立ち寄る。Grand Canyon Hotelに宿泊。
三日目:Grand CanyonとHorseshoe Bendを見物。Antelope Canyon Bryce Gateway Cabins, Panguitchに宿泊。
四日目:Bryce CanyonとZion Canyonを散策。Travelodge Kanabに宿泊。
五日目:パワースポットとして有名なセドナを観光。Bell Rock Inn By Diamond Resortsに宿泊。
六日目:アルバカーキに帰着。初日と同じRamada Albuquerque Airport Hotelに宿泊。
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