食欲減退系スペイン映画「プラットフォーム」ネタバレ感想
ヘタリアで、各国のホラー映画について語られている回がありました。
それによると、スペインのホラーは精神的にクると。
私は、スペイン映画というと「パンズ・ラビリンス」しか観たことがなかったのですが、
たしかにあれも観た後げっそりしました。
というわけで、Twitterで話題になっていた「プラットフォーム」を観ました。
しばらくゴハンを食べるたびに気持ち悪くなりました。
スペイン映画は当面の間、観たくありません(涙)
ネタバレ感想になりますので、ご注意ください。
「プラットフォーム」あらすじ
目覚めると、ゴレンは「48」階層にいた。
フロアの中央には大きな穴が空いており、同じ形のフロアが上下それぞれ遥か先まで重なっている。
ルームメイトの老人・トリマガシは、「48」階層はラッキーだと言った。
「48」階層であれば、食事が摂れるのだ。
食事は大量に用意されているが、最上階から順に、フロア中央の吹き抜けを下りてくる。
上の階の住人たちが食べ散らかすので、「48」階層に来る頃にはすでに残飯である。
数日は嫌悪感から手を付けなかったゴレンだが、この施設では食事はそれしか出ない。
生きるためには残飯を漁るほかなかった。
なぜ人々は、下の階のことを思って食べ物を残さないのか。
それは、1か月に1度、階層がランダムに入れ替わるというルールによるものだった。
来月は残飯すら残されない低階層にいるかもしれないという恐怖から、毎日限界まで食べる上階層の住人たち。
全員が生きるに足りる分だけ食べれば、誰も飢えずに済むのに。
ゴレンは「穴」のルールに一石を投じることができるのか?
「プラットフォーム」はグロい?
【プラットフォーム グロい】でググった皆さん、お待たせしました。
恒例のグロさチェックです。
スペイン映画「プラットフォーム」は、グロいです。
映画「プラットフォーム」はグロ描写あり
刃物、内臓、痛み描写、全部あります。
ただ、急に来るびっくり系はないので、私は来そうなシーンになると指の間からチラチラ見ていました(笑)
基本的に画面が暗く、はっきり見えないのも救いでした。
グロさとしては、「冷たい熱帯魚」くらいかなと思います。
あの程度の内臓や血が大丈夫であれば、目を覆うほどのシーンはありません。
トラウマ系の描写もあるので該当する人は注意
ただ、「冷たい熱帯魚」との大きな違いとして、
「プラットフォーム」では、
結構カジュアルに人肉を食べちゃいます。
蛆虫も出る。
犬も死ぬし、女性も子どももイヤな目に遭う。
イヤなもの大体出てくる。
上記トラウマ系の描写が苦手な人は、注意が必要かもしれません。
社会風刺的な世界観
「上」が根こそぎ取るから「下」はいつも飢えているとか、
「下」で受けた酷い仕打ちを自分が「上」になったとき同じようにしてしまうとか、
弱い立場の人間に「何もしない」ことが「助けている」ことになるとか。
誰がどう見ても社会風刺的な構造になっています。
韓国映画「パラサイト」に通ずる社会構造
「パラサイト」を観たときも思ったのですが、自分が「最悪だ」と思っているときも、まだまだ下はいくらでもあるんですよね。
韓国映画「パラサイト」弊ブログの感想はこちら
「プラットフォーム」では、たびたび、吹き抜けを人が落ちていきます。
落ちていくところを見るということは、主人公よりも上の階層にいたにも関わらず自殺を選んだ人がいるということです。
たとえば初めて残飯を目の当たりにして、これを1か月も!? と絶望したとか。
住人によっては、単なるいやがらせで、下に降りていく食べ物に唾を吐きかけたりします。
私も、そんなもの食べるくらいだったら死ぬかもしれないと思ってしまいました。
でも実のところ、下層にはそんなものすら食べられない住人たちがかなりいます。
というか本作では、
250~333階層(後述)ある中で、50階層が腹を満たせる程度に食事できるボーダーとして描かれていました。
つまり全体の80~85%くらいは、1か月間かなりキツい食生活を強いられることになるんですよね。
一定の階層より下になると、自殺や餓死により大半の住人が死んでいました。
ルームメイトに殺されて食べられている(!)人もいたりして、かなりカオスです。
もっと辛い人がいる、から何?
自分がもう無理と思うくらい辛いとき、それは必ずしも社会全体の最底辺ではないかもしれない。
でも結局、自分の辛さを切にわかるのは自分だけですし、自分が辛くて困るのは実際のところ自分だけですから、いま自分が辛いことが全てなんですよね。
それでいいと思いますし、人は常に主観でしか物事を測れないことをひしひしと感じました。
アジア人として差別的な表現について思うこと
本作は2019年の映画ですが、かなり差別的な表現があります。
白人が、アジア人や黒人を人間以下とみなしているような台詞が結構あり、アジア人としては少々不快ではありました。
何より、全体的に品のない「穴」の住人たちだけでなく、作中ではかなり良識的に描かれていた女性までも、心に余裕がなくなってそういう表現をするシーンがあるんですね。
COVID-19の発生地がアジアだったことから、世界中でアジア人への風当たりが強くなったのは記憶に新しいです。
結局、どんなに取り繕っても、極限状態では潜在的な意識が顔を出します。
差別する側の意識は根深く、そう簡単には変わらないのだろうと思いました。
差別されていた側が権利を持つとどうなるか
有色人種にしても女性にしても、これまで低かった地位がある程度フラットになった途端に、「これまで差別されてきたこと」を免罪符に仕返しを始める人がいるのも問題です。
その姿はそのまま、他人を思いやれない「穴」の住人たちに当てはまります。
作中で、これから下層の人が食べる料理に唾を吐いた人が、
「以前に自分もされた。みんなやっていることだ。」
と理由を述べます。
自分だけが損するのは我慢できないという考えでは、全員共倒れして終わりです。
差別される側が入れ替わるだけですから。
しかし、人類は愚かにも、ずっと繰り返してきています。
本作「プラットフォーム」は、それを「穴」の1か月間という小さなスケールで見せつけてきます。
憎しみの連鎖をどこかで断ち切り、全員で幸せに向かうことはできないのか。
日ごろのニュースに関して思うところがありました。
「穴」のルール
本作の「穴」は、ある種のサナトリウムとして運用されているようです。
主人公のゴレンのように、志願して入所する人もいます。
そのほか、「穴」には以下のようなルールがありました。
・「穴」は200階層ある
・1フロアに2名が入所する
・16歳以下は入所できない(※スペインでは16歳までが義務教育)
・1人1つだけ好きなものを持ち込める
・月に1度、階層のシャッフルがある
・食事は1日に1回、1階層から台に乗って下りてくる
・食事は台がフロアにある間しか食べられない
・食べ物をフロアに残すと、室温操作により死に至らしめられる
・食事以外については、階層の移動を含むすべての行動が自由
・出所後にもらえる「認定証」があると外の世界で有利
333階層は本当にあったのか?
上記のルールには、途中で同室になる「穴」の管理者が教えてくれたことも含まれます。
しかし物語の終盤になると、いくつかのルールが間違っていたことが明らかになります。
ゴレンが202階層で目覚め、さらにその下にも階層があったのです。
階層はなんと333階層まであり、明らかに16歳未満の子供が最下層にいたんですよね。
(つまり“666"人収容できるという……悪趣味な人数ですね。)
しかし、これらは現実だったのでしょうか?
最下層にいた子どもはあまりにも元気そうで、とても食事を摂っていないようには思えませんでした。
個人的には、ミハルが死んで以降、ゴレンは心身的な限界から幻覚を見ていたのではないかと思います。
「穴」の住人たちと神
「プラットフォーム」では、たびたび神についての描写がありました。
救世主という単語が出てきたり、神を信じるかと問いかけていたり、そのほかにも、ヨハネの福音書から以下の部分を引用した台詞があります。
ヨハネの福音書 第6章
54 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者には、永遠の命があり、わたしはその人を終りの日によみがえらせるであろう。
55 わたしの肉はまことの食物、わたしの血はまことの飲み物である。
56 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者はわたしにおり、わたしもまたその人におる。
聖書で言う血肉はあくまで教えのことです。
でも本作だとめちゃくちゃ物理的に食べるので、キリストもびっくりしていると思います。
「カタツムリ」のダブルミーニング
さて、トリマガシ(最初に同室になった男)がキリスト教徒だとすると、ゴレンに「カタツムリ」と呼びかけたのが、ダブルミーニングではないかと思います。
カタツムリは、キリスト教的に「罪人」のシンボルとされています。
※諸説あります
ヨーロッパでは怠惰の象徴とし、罪人になぞらえた。
※中経出版「世界宗教用語大事典」より引用
一生おなじ殻を背負って生きる姿が原罪を背負った人間に重なる
という解説もあります。
喫煙という怠惰を矯正するために自ら入所した、ゴレンに対するニックネームとしては、かなり的を射ている気がしました。
なぜゴレンは上がれなかったか
ラストでは、愚かな人間たちから天へのメッセージとして、アジア人の女の子という最も弱い立場の者を傷ひとつなく捧げることになりました。
しかし、なぜゴレンは、女の子と一緒に1階層に行くことができなかったのでしょうか。
かなり俗世的な面はあったにせよ「救世主」と呼ばれたゴレンは、すべての住人たちの罪を背負って「穴」で死ぬしかなかったということなのでしょうか。
でもこれによって、「穴」のルールは少しでも変わるのでしょうか。
そんな気全くしないあたりが、この映画の救いのないところなのかもしれません。
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