食欲減退系スペイン映画「プラットフォーム」ネタバレ感想

2021年7月9日

ヘタリアで、各国のホラー映画について語られている回がありました。

それによると、スペインのホラーは精神的にクると。

 

私は、スペイン映画というと「パンズ・ラビリンス」しか観たことがなかったのですが、

たしかにあれも観た後げっそりしました。

 

というわけで、Twitterで話題になっていた「プラットフォーム」を観ました。

 

しばらくゴハンを食べるたびに気持ち悪くなりました。

スペイン映画は当面の間、観たくありません(涙)

 

 

ネタバレ感想になりますので、ご注意ください。

 

「プラットフォーム」あらすじ

目覚めると、ゴレンは「48」階層にいた。

 

フロアの中央には大きな穴が空いており、

同じ形のフロアが上下それぞれ遥か先まで重なっている。

 

ルームメイトの老人・トリマガシは、「48」階層はラッキーだと言った。

「48」階層であれば、食事が摂れるのだ。

 

食事は大量に用意されているが、

最上階から順に、フロア中央の吹き抜けを下りてくる。

 

上の階の住人たちが食べ散らかすので、「48」階層に来る頃にはすでに残飯である。

 

数日は嫌悪感から手を付けなかったゴレンだが、この施設では食事はそれしか出ない。

生きるためには残飯を漁るほかなかった。

 

なぜ人々は、下の階のことを思って食べ物を残さないのか。

それは、1か月に1度、階層がランダムに入れ替わるというルールによるものだった。

 

来月は、残飯すら残されない低階層にいるかもしれないという恐怖から、

毎日限界まで食べる上階層の住人たち。

 

全員が生きるに足りる分だけ食べれば、誰も飢えずに済むのに。

 

ゴレンは「穴」のルールに一石を投じることができるのか?

 

「プラットフォーム」はグロい?

【プラットフォーム グロい】でググった皆さん、お待たせしました。

恒例のグロさチェックです。

 

スペイン映画「プラットフォーム」は、グロいです。

 

映画「プラットフォーム」はグロ描写あり

刃物、内臓、痛み描写、全部あります。

 

ただ、急に来るびっくり系はないので、

私は来そうなシーンになると指の間からチラチラ見ていました(笑)

 

基本的に画面が暗く、はっきり見えないのも救いでした。

 

グロさとしては、「冷たい熱帯魚」くらいかなと思います。

あの程度の内臓や血が大丈夫であれば、目を覆うほどのシーンはありません。

 

トラウマ系の描写もあるので該当する人は注意

ただ、「冷たい熱帯魚」との大きな違いとして、

 

「プラットフォーム」では、

結構カジュアルに人肉を食べちゃいます。

 

蛆虫も出る。

犬も死ぬし、女性も子どももイヤな目に遭う。

 

イヤなもの大体出てくる。

 

上記トラウマ系の描写が苦手な人は、注意が必要かもしれません。

 

社会風刺的な世界観

「上」が根こそぎ取るから「下」はいつも飢えているとか、

「下」で受けた酷い仕打ちを自分が「上」になったとき同じようにしてしまうとか、

弱い立場の人間に「何もしない」ことが「助けている」ことになるとか。

 

誰がどう見ても社会風刺的な構造になっています。

 

韓国映画「パラサイト」に通ずる社会構造

「パラサイト」を観たときも思ったのですが、

自分が「最悪だ」と思っているときも、まだまだ下はいくらでもあるんですよね。

 

韓国映画「パラサイト」弊ブログの感想はこちら

 

「プラットフォーム」では、たびたび、吹き抜けを人が落ちていきます。

 

落ちていくところを見るということは、

主人公よりも上の階層にいたにも関わらず自殺を選んだ人がいるということです。

 

たとえば初めて残飯を目の当たりにして、これを1か月も!? と絶望したとか。

 

住人によっては、

単なるいやがらせで、下に降りていく食べ物に唾を吐きかけたりします。

 

私も、そんなもの食べるくらいだったら死ぬかもしれないと思ってしまいました。

 

でも実のところ、

下層にはそんなものすら食べられない住人たちがかなりいます。

 

というか本作では、250~333階層(後述)ある中で、

50階層が、腹を満たせる程度に食事できるボーダーとして描かれていました。

 

つまり全体の80~85%くらいは、

1か月間かなりキツい食生活を強いられることになるんですよね。

 

一定の階層より下になると、自殺や餓死により大半の住人が死んでいました。

ルームメイトに殺されて食べられている(!)人もいたりして、かなりカオスです。

 

もっと辛い人がいる、から何?

自分がもう無理と思うくらい辛いとき、

それは必ずしも社会全体の最底辺ではないかもしれない。

 

でも結局、自分の辛さを切にわかるのは自分だけですし、

自分が辛くて困るのは実際のところ自分だけですから、

いま、自分が辛いことが全てなんですよね。

 

それでいいと思いますし、

人は常に主観でしか物事を測れないことをひしひしと感じました。