機械は人間に勝るか? 吉沢亮主演「AWAKE」ネタバレ感想
突然ですが、将棋電王戦をご存知ですか?
ドワンゴ主催で2012年から2017年まで開催されていた、
プロ棋士とコンピュータ将棋ソフトウェアとの棋戦です。
棋士と対戦した将棋ソフトといえば「PONANZA」しか知らなかったのですが、
実際には色々なソフトが棋士と戦い、年々勝率を上げていたようです。
テクノロジーの成長は凄まじく、
最後の電王戦となった2017年「第2期 電王戦」では名人を下し、
ついに「人間を越えた」存在となりました。
映画「AWAKE」の題材となったのは、
人工知能が人間を越えたのではないかと薄々みんなが感じ始めていた2015年
「将棋電王戦FINAL」第5局
プロ棋士 VS AWAKE戦
プロ棋士側が、
バグに近い悪手の発生条件を知りながら、あえてその形を再現してまで勝利したことが、
フェアプレー精神に反するなどとして物議を醸しました。
映画自体は上記を元にしたフィクションですが、色々な対比表現を含んでいてとても面白かったです。
「AWAKE」あらすじ
清田英一は、奨励会に所属し将棋のプロ棋士を目指す少年。
奨励会には、英一を含め地元では負けなしの子どもたちが集う。
同期の浅川は、その中でも頭ひとつ抜けた才能で一目置かれる存在だが、
英一は同世代で唯一彼に勝利を収めたことがあり、互いにライバルとして切磋琢磨していた。
しかし、
年々開き続ける浅川との差を前に、英一はプロの道を諦め大学へ進学。
人生を懸けてきた将棋を失い意気消沈していた英一だが、
ある日、コンピュータの将棋ソフトに出会い、定跡に捉われない自由な打ち筋に心を奪われる。
「将棋ソフトを作りたい」
初心者ながら大学の人工知能研究会に入会した英一は、
猛勉強の末、プログラミングと将棋ソフト開発にのめりこんでいく。
のちに「AWAKE」(=覚醒)と名付けられる英一の将棋ソフトは、
開発当初こそアマチュア大学生にも惨敗する有様だったが、
機械学習と改良を重ね、数年後にはコンピュータ将棋の大会で優勝。
ついには棋士との興行対局「電王戦」への出演オファーを受ける。
電王戦に、将棋界が人間代表として送り込んだのは、
すでに若手強豪棋士として活躍するかつてのライバル・浅川であった。
機械の研鑽に人間の直感は勝るか?
前述のとおり、この電王戦が行われた時代には、
将棋ソフトは一人の人間を越えてしまったという風潮も真実味を帯びてきていました。
しかし一方で、人工知能やAIという言葉が今ほど一般的ではなく、
機械が人間を越える可能性が、世間の共通認識となる前のことでした。
「AWAKE」の研究に行き詰まった浅川は、
電王戦について話す子どもたちの会話を耳に挟みます。
「機械の研鑽より、人間の直感のほうが絶対に優れている」
はずだと子どもたちは言いました。
ラストを知ってからこのシーンを見ると、
振り返って子どもたちの背中を見送る浅川の表情が全く違うものに思われます。
機械の研鑽とは?
さて、機械の研鑽とは一体なんでしょうか?
たとえば将棋ソフトであれば、
最初は過去の棋譜を無数に読み込ませてデータを蓄積しています。
過去の棋譜は、人間の文明の積み重ねに他なりません。
最終的にはコンピューター同士で戦って新たな棋譜を作り始めるので、
それこそ「機械の研鑽」と言えそうですが、ここでは一旦置いておきます。
人間の直感とは?
そして、
人間の直感もまた、知識の蓄積による結果です。
直感なのに知識? と思うかもしれません。
しかしたとえば、
作中で問題になった「AWAKE」のセキュリティホール「2八角」は、
人間なら絶対に打たない手でした。
その理由を英一は、
「人間なら過去の経験から、”なんか危ない”と察知するから」
としています。
なまじ打つ時点では形がいいので、コンピュータは形勢よしと評価してしまう。
つまり、ぱっと見は良さそうなこの手を人間が避けられるのは、
これまでの経験を直感的に引用することで「嫌な予感」を察知して、
さらに論理的な理由もなく「嫌な予感」を行動の根拠にできるからです。
”人工”知能は人間を越えるのか?
人から生まれし人工知能が、人間を越える。
かつてはありえないと言われ、ありえるとしても恐れられてきた可能性でした。
しかし、
人工知能が人間の能力を越える=人工知能が人間の上に立つ なのでしょうか?
チェスの世界チャンピオンとして最長記録を持つ、
「知性の権威」ガルリ・カスパロフは、このように言っています。
文明の発達が止まる事はない。コンピュータが人間を超える事は必然だ。
そしてそれさえも人間の知性の勝利と言える。
彼は、人工知能の黎明期から人間代表として戦い続け、
そして機械が人間を越える瞬間を目の当たりにした世代です。
人間が生み出した人智の集合体が、
やがてひとりの人間では到達できない高みに昇っていく。
どちらが「勝つ」とか「優れている」ではなく、
積み重ねた知識をそれぞれにしかできない形で利用していくことが、
人間と機械の進むべき道なのではないでしょうか。
英一と浅川
かつて、圧倒的な才能を持つ浅川に食らいつき、
同世代で唯一、彼から勝利をもぎとりすらした英一。
一見、英一が一方的に固執していたようにも思えたのですが、
浅川も英一には特別な思いを抱いていたようでした。
二人に共通しているのは「勝ちたい」という気持ち。
棋士である以上当たり前とも言えますが、
英一の異常なまでの勝利への執着心や、
浅川が終盤にこぼす
「勝ちたいと思って対局に臨まない時が来たら、僕は棋士を辞めないといけないと思っています」
というセリフにも現れています。
そんな負けず嫌い二人の「勝ちたい」がぶつかるシーンが、作中に3度あります。
① 子ども時代に英一が浅川に勝つ試合
② 英一が奨励会を辞めるきっかけになる試合
③ 電王戦
奨励会終盤には成績を落としてこそいたものの、
英一の心を折った最後のひと押しは、
定跡を外したオリジナル戦法を用いても、浅川に勝てなかったことでした。
どうしても勝てない相手がいる以上、もはや英一は将棋を辞めるしかなかったんですね。
「プロの気持ちは分からない」英一
英一のリベンジマッチともいえる電王戦直前、「2八角」エラーが発覚します。
ある局面において人間であれば悪手であると直感する「2八角」という手を、
「AWAKE」は、形の良さから有効と判断してしまうというエラーでした。
※コンピューターなら先読みをして避けられるのではないか?
対局の条件が秒読み1分の早打ちで解析時間が足りないことに加え、
「劣勢がはっきりするまで長い手数がかかる局面に誘導する策はコンピュータ将棋が見破りにくいことが以前から知られて」いたそうです。
アマチュア相手には負けなし、懸賞金をかけられるほどの実力をつけた「AWAKE」
プロ棋士である浅川への勝算も十分ありと見込んでいたところへ、
予想外の穴が見つかってしまいました。
エラーを意図的に再現されれば、「AWAKE」の負けは確実です。
パニックに陥る英一ですが、
仲間からは「それはプロが打つ手か?」となだめられます。
英一は逡巡の末、
「俺にはプロの気持ちは分からない」と一旦その場を離れます。
このシーンが泣ける!
英一は将棋を取り戻しましたが、プロではないんです。
将棋そのものを仕事にできるのは棋士だけ。
将棋担当記者は「記者」ですし、将棋ソフトプログラマーの英一もあくまで「プログラマー」。
棋士になることを諦めて別の道から将棋へのアプローチを選んだ英一が、
絞り出すようにこぼす「プロの気持ちは分からない」には、
彼の「プロ」すなわち「将棋」への未練がにじむようでした。
「プロ棋士」浅川の苦悩
一方、浅川は、
「AWAKE」サンプルとの対局で研究を重ねるも全く勝てず、焦りを募らせていました。
将棋というゲームで、人間が人工知能に永遠に勝てなくなる瞬間が近づいていた時期。
浅川は、なんとしても「AWAKE」に勝たなければなりませんでした。
棋士として、将棋という文化を背負っている立場だからです。
彼の恩師は、そんな浅川を気遣って声を掛けます。
「ひとりで背負えるものでもないんだ、無理しすぎるな」
「・・・いや、(無理を)します」
浅川の「無理をします」が、寝食をおいても研究に没頭することだったのか、
批判されようとも白星を「死守」することだったのかは分かりません。
しかし結局、正攻法での勝ちは見いだせず、
コンピューターのエラーを突かざるを得なかった浅川。
どんな形であれ「勝ち」を選んだのでした。
「2八角」を誘った浅川は、機械的なまでの無表情でした。
一方それを見た英一は、どこかやりきったような晴れやかな顔で投了を宣言。
因縁のライバル対決は、わずか21手での終局を迎えました。
「投了」は相手へのリスペクト
この映画において「投了」は重要な意味を持ち、序盤にその布石があります。
将棋の話で布石ってややこしいな
英一が奨励会に入会してすぐの頃、
完全に負けているのにいつまでも投了しなかった対局がありました。
理由は、「負けたくなかったから」
投了あるいは終局までは「負け」は確定しません。
それを聞いた奨励会の先生は、英一を諭します。
詰みが見えた以上、相手のミスに助けられなければ勝てない。
投了とは、相手の強さを尊重することでもあるのだと。
電王戦での「投了」
2八角エラーについて、
「自主研究で見つける可能性がある」としながらも「あいつはきっと打たない」と、
浅川の将棋に対する姿勢を評価し、ある意味で信頼していた英一。
浅川であればあらゆる手を尽くしたであろうことを確信しており、
それでもエラーに付け込んだ以上、
これ以外では浅川が「AWAKE」に勝てなかったと悟ったのでした。
つまり、アンフェアな2八角エラーに誘導したこと自体が、
浅川にとって事実上の「投了」だったとも言えます。
しかし浅川は、
「プロが打つ手か?」「フェアプレー精神がない」など様々な批判を受けるとしても、
この試合では「形式上の勝ち」にこだわらなければいけませんでした。
それらをすべて悟っていたであろう英一の「ここで投了します」の一言には、
自分とは違い、プロとして、
将棋という文化を背負い戦う浅川へのリスペクトが詰まっていました。
英一の20年間弱の成長を見守っていた視聴者としては涙が出ました。
吉沢亮の凄み
ところで、吉沢亮ですよ。
「なつぞら」「キングダム」など、出演作は観たことがあるはずなのですが、
正直、顔がよすぎて演技に注目したことがなかったです。
しかし本作では、
自分と将棋しか世界にないようなコミュ障が、少しずつ目に光を宿していく様子を、
とても鮮やかに演じていて引き込まれました。
顔が強すぎて
「いや顔!!その顔なら一人にされないわ!!」ってなりますが、
吉沢亮がうますぎて
「そりゃそんな陰気オーラ放ってたら誰も近寄らないよね……」
と納得してしまいます。
打ち込めるものを見つけられてよかったね。
他の出演作も見てみたくなりました!
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