食欲減退系スペイン映画「プラットフォーム」ネタバレ感想

2021年7月9日

アジア人として差別的な表現について思うこと

本作は2019年の映画ですが、かなり差別的な表現があります。

 

白人が、アジア人や黒人を人間以下とみなしているような台詞が結構あり、

アジア人としては少々不快ではありました。

 

何より、全体的に品のない「穴」の住人たちだけでなく、

作中ではかなり良識的に描かれていた女性までも、

心に余裕がなくなって、そういう表現をするシーンがあるんですね。

 

COVID-19の発生地がアジアだったことから、

世界中でアジア人への風当たりが強くなったのは記憶に新しいです。

 

結局、どんなに取り繕っても、極限状態では潜在的な意識が顔を出します。

 

差別する側の意識は根深く、そう簡単には変わらないのだろうと思いました。

 

差別されていた側が権利を持つとどうなるか

有色人種にしても女性にしても、

これまで低かった地位がある程度フラットになった途端に、

「これまで差別されてきたこと」を免罪符に仕返しを始める人がいるのも問題です。

 

その姿はそのまま、他人を思いやれない「穴」の住人たちに当てはまります。

 

作中で、これから下層の人が食べる料理に唾を吐いた人が、

「以前に自分もされた。みんなやっていることだ。」

と理由を述べます。

 

自分だけが損するのは我慢できないという考えでは、全員共倒れして終わりです。

差別される側が入れ替わるだけですから。

 

しかし、人類は愚かにも、ずっと繰り返してきています。

 

本作「プラットフォーム」は、

それを「穴」の1か月間という小さなスケールで見せつけてきます。

 

憎しみの連鎖をどこかで断ち切り、全員で幸せに向かうことはできないのか。

日ごろのニュースに関して思うところがありました。

 

「穴」のルール

本作の「穴」は、ある種のサナトリウムとして運用されているようです。

主人公のゴレンのように、志願して入所する人もいます。

 

そのほか、「穴」には以下のようなルールがありました。

 

・「穴」は200階層ある

・1フロアに2名が入所する

・16歳以下は入所できない(※スペインでは16歳までが義務教育)

・1人1つだけ好きなものを持ち込める

・月に1度、階層のシャッフルがある

 

・食事は1日に1回、1階層から台に乗って下りてくる

・食事は台がフロアにある間しか食べられない

・食べ物をフロアに残すと、室温操作により死に至らしめられる

 

・食事以外については、階層の移動を含むすべての行動が自由

・出所後にもらえる「認定証」があると外の世界で有利

 

333階層は本当にあったのか?

上記のルールには、

途中で同室になる「穴」の管理者が教えてくれたことも含まれます。

 

しかし物語の終盤になると、

いくつかのルールが間違っていたことが明らかになります。

 

ゴレンが202階層で目覚め、さらにその下にも階層があったのです。

 

階層はなんと333階層まであり、

明らかに16歳未満の子供が最下層にいたんですよね。

 

(つまり“666"人収容できるという……悪趣味な人数ですね。)

 

しかし、これらは現実だったのでしょうか?

 

最下層にいた子どもはあまりにも元気そうで、

とても食事を摂っていないようには思えませんでした。

 

個人的には、ミハルが死んで以降、

ゴレンは心身的な限界から幻覚を見ていたのではないかと思います。

 

「穴」の住人たちと神

「プラットフォーム」では、たびたび神についての描写がありました。

 

救世主という単語が出てきたり、神を信じるかと問いかけていたり、

そのほかにも、ヨハネの福音書から以下の部分を引用した台詞があります。

 

ヨハネの福音書 第6章

54 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者には、永遠の命があり、わたしはその人を終りの日によみがえらせるであろう。

 

55 わたしの肉はまことの食物、わたしの血はまことの飲み物である。

 

56 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者はわたしにおり、わたしもまたその人におる。

 

聖書で言う血肉はあくまで教えのことですが、

本作だとめちゃくちゃ物理的に食べるので、キリストもびっくりしていると思います。

 

「カタツムリ」のダブルミーニング

さて、トリマガシ(最初に同室になった男)がキリスト教徒だとすると、

ゴレンに「カタツムリ」と呼びかけたのが、ダブルミーニングではないかと思います。

 

カタツムリは、キリスト教的に「罪人」のシンボルとされています。

※諸説あります

 

ヨーロッパでは怠惰の象徴とし、罪人になぞらえた。
※中経出版「世界宗教用語大事典」より引用

 

一生おなじ殻を背負って生きる姿が原罪を背負った人間に重なる

という解説もあります。

 

喫煙という怠惰を矯正するために自ら入所した、

ゴレンに対するニックネームとしては、かなり的を射ている気がしました。

 

なぜゴレンは上がれなかったか

ラストでは、愚かな人間たちから天へのメッセージとして、

アジア人の女の子という最も弱い立場の者を傷ひとつなく捧げることになりました。

 

しかし、なぜゴレンは、

女の子と一緒に1階層に行くことができなかったのでしょうか。

 

かなり俗世的な面はあったにせよ「救世主」と呼ばれたゴレンは、

すべての住人たちの罪を背負って「穴」で死ぬしかなかったということなのでしょうか。

 

でもこれによって、「穴」のルールは少しでも変わるのでしょうか。

 

そんな気全くしないあたりが、この映画の救いのないところなのかもしれません。